今日一日、データーベースのトラブルにみまわれました。
データー系のトラブルは管理者にとっては、日常的なことで、対策はそれなりに色々考えてはいます。ハードにしろソフトにしろ、情報社会においては、便利さゆえのトラブルはぬぐい去ることはできません。
データは多くの場合、通信されています。通信は大海原のようなもので、多くの対策は打たれていますが、それでも、対策をかいくぐって電子的に不合理な問題が発生いたします。
システムは論理の塊なのですが、勢いのある運用者においては、不手際もシステムが自動的に対応してくれるものだと勘違いしている者もおります。もちろん、いくつかの想定内の対処はやっていますが、ダメの場合があります。テスト運用を本稼動させたりする人もおります。それも、システムに精通していない体力まかせの現場作業チーフなどが、わかった振りをされると大変です。でも、そんなクライアントも多いのが現状です。
テスト期間も含めて16ヵ月もかかるシステムを3ヶ月で運用させてくれなどと言うものも現れました。まだ要件定義すらできていないのに。だから見積もりもできていないのにです。
そういう会社だから、原理原則が守られていないのです。ですから、システムを作ることはできますが、運用することはできないと思われるのです。いかにGUIをしっかり作っても、こんな場合は安心することはできません。運用トラブルが発生すると、我々開発者に文句をいうのです。
まあ、多かれ少なかれ、このような体質を引きずるところは淘汰される対象となるのですが、当人たちはまったく気づきません。
で、今夜は長くなりそうです。自宅から、会社のシステムに入って現在対処中なのです。処理中なので、こうして、投稿ができます。

豪雪で監禁生活の3日目。私はマンションの部屋にストーブを持っていない。これは、このものすごい寒さの中ではかなりのハンディキャップとなってしまう。会社に出かけたほうがいいのだが、本日は公休日なのと、この雪の中で車を運転するには難しい。
この雪は27年ぶりだそうだから、わが社の若手社員は今回の豪雪の体験がはじめてらしい。友人のGさんに電話をしたら奥さんが「Gは来年は1月から4月まで、アフリカに行くといっています。こんなところは住めないともいっている」とのことでした。欧州はもっと寒いのではないかと以前Gさんに聞いたら、セントラルヒーティングで建物の中はとても暖かなんだそうです。欧州といってもパリ育ちだから欧州全体がセントラルヒーティングが完備しているのかどうかはわからない。
現在、珈琲屋で珈琲を飲みながら投稿している。つまり、自宅は寒すぎて、避難して来ているのだ。もう少しの時間で街の中心で「冬の食の陣」というイベントが開始される。そうしたら、イベント用テント村で何か食べたいとをもう。

歩いて会社まで行こうとしたが、信濃川の手前で通行は足の痛みで断念した。TVで新潟市の積雪は81cmとしているが、写真でみればそんなものでないことがわかるでしょう。w私の住いはマンションの4Fです。ベランダは風が強いので比較的積雪はすくないのですが、90cm以上あります。私の駐車場も昨夜の雪で車を出すことは断念。道路は危険すぎます。7時前だったので車も人もすくないのですが、歩道は歩けませんので、除雪車の通った道路を車も人も使っています。昭和30年代の車も人も混在して歩いた時代を思い出します。昭和38年の未曾有の豪雪を38豪雪といっています。このときは今の状態が1週間続いたのです。今回も平成22年なので、後に22豪雪といわれるかもしれません。写真は新潟市中心部のNext21という商業ビルの写っているものです。歩道から撮ったものですが、新潟市の一番除雪体制の整った場所ですらこの状態です。郊外のバスは、ほぼ全面的に停止だそうです。私も一時間ほど歩いたなかで1台だけバスをみました。

もう一枚の白黒の写真は昭和38年の豪雪で私が高校生の時に親戚の歯科医院を撮影したものです。道路のほうが高く、医院の入り口ははるかに下のほうで、2Fからの出入りが可能でした。平屋の場合は道路から屋根におちて怪我をするとう事態も発生したのです。

夜半すぎからの豪雪。新潟市中央区を中心とした局地的豪雪と思えます。ともかく、私の記憶している20年ほどの間で、これほど短時間で新潟市に40cmほどの降雪を見たことが無かった。新潟市に居をかまえて5年と数ヶ月なんだが、我が社の社員の3分の1は自宅でネット回線でサポート体制を維持しています。まあ、3分の1といっても6名の会社なので2名が自宅待機、そして、3名が2Km~5Kmを歩いて出勤してきています。私の場合は市の特に中心部が幸いして借りている車庫(といっても青空駐車なのだが)から、1時間ほどで車を出せたので車で出勤が可能でした。で、社員全員が疲労していて、仕事にならない。外は相変わらずの降雪。もう、帰ることの心配をしている。雪国はいやだなぁ。写真でご覧ください。6,7時間でこんなに積もったのです。

私の車掘り出すのが大変 事務所隣の屋根無し駐車場
歩道はまだ通行不可 まばらな幹線道路

「◎◎さんが、また部屋に来たんだよ。」と母が言った。
母よりは1,2歳若いので多分90歳前後の女性だ。彼女はよく母に胸を触らせる。「おっぱいが小さくなってしまって大変」だというのだ。だから、「大きく するために牛乳を毎日飲んでいる。」といっている。いまさら、おっぱいを大きくしてどうするのかと母が聞いたら、「二人の息子にやらないと、息子が大きく ならない。」と心配しているのだ。20~30分ほど自分の心配を母に伝えている間、施設内部では◎◎さんが何処に行ったかわからないと大騒ぎだったそう だ。彼女は私がエレベータで2Fに上がった時に大きく開いたエレベーターに向かってきたことがあった。職員はあわてて阻止する場面に遭遇したことがある。 エレベーターが外に通じる道であることは知っているのだが、一旦、外に出たら、戻ってくる能力がないのだ。無謀なことなのか、それとも夢の世界から現実の 世界に入る扉の向こうには生存できないくらいの危険がいっぱいなのが住人の大部分は知らないからなのか。

母の施設はとても環境もよく、介護を主とする従業員は若く手のかかる仕事をやっている。新興住宅地の一部で田畑の見える場所に3層の建物が一見何をしてい るのかがわからない趣で存在している。ビジネスホテルとしての立地ではないし、無味乾燥な工場というわけではない。私はこの手の建物が介護の施設であるの が、この施設のおかげで理解できるようになった。今、新潟のディサービスを中心とした施設は転用されたものが多いように思える。元は小さな食品スーパーで あったり、コンビニであったり、古いビルの1階を利用していたり、商業施設であって駐車場があったものであったり、している。
つまり、ディサービスを中心とした介護施設は多大な投資を必要とせず設立が可能な場合が多いということと、ニーズが同時に多いのだということがわかる。最 終的な業態としてもてはやされているのは100円均一小売業、そして、このディサービスの介護施設のような気持ちさえわいてくる。
その中で、本当に基礎から作ればこうなるのだと言うタイプが母の介護施設のような気がした。1Fはディーサービス、2Fはショートスティ、3Fは優良老人 ホームとなっている。

今朝4時にSmartQ5のGmailで読んだメール。Gさんとは電話で話すのとメールとが半々なのですが、今朝はメールを読みました。厳密にはGさんは昨夜送信したのです。Gさんは最初に会ったときから日本が嫌いになったといっていました。外交官の退官後、県都の国立大学で講師をしているのですが、つきに2,3回あって食事をしたり飲んだりしています。冬の新潟は彼を極度に虚しくさせてしまいます。私も彼の考えに共感することがおおいのです。さすがに外交官だったので、すばらしい日本語でのメールです。このような文章を日本人の若者は書けるのでしょうか、考えれるのでしょうか。以下、知日派外国人の日本人感です。

今晩は!今日は、ちょっと飲み過ぎましたので、本心を言います。私は日本人ではないし、この国と35年間付き合ったにもかかわらず、すごく疲れました。新潟は好きじゃないし、日本も(京都を除いて)大嫌いです。なるべく早く、そして永遠にこの国をあとにしたいのは本心です。友人のあなたにこういうことを言うのはすごく残念だと思いますが、今の日本は、私が60年代の初期で初めて知った、人間性があり、人懐こい、個性がある、変わった人が多かった日本と違って、これといった言った独特の匂いがない、影の薄い、心の温かさ全くがない、ロボットのような冷たい、そして教養のとても乏しい人間しかいない、寂しいところに見えます。今の日本の社会が目指している皆同じの世界は大嫌いです。
それでも今日は面白い一日でした。バイクで60キロを走って、帰り道で佐上商会に寄りました。Kawasaki K125の新車を見て、日本を去るまでに(おそらく4年後の2014年になると思いますが、我慢できなければもっと早く出るかも知れません)どうしても乗ってみたいものだと思いました。9月あたりで、スイスから約束されている、アルバイトが実現されれば、購入したいと思っています。

Gさんは、ニューヨークや東京、大阪にいた外交官時代は車は利用していましたが、バイクは5年ほど前に免許をとって、雪国の真冬であっても天候の合間をみてはバイク運転を楽しんでいます。春になると自転車で信濃川周辺から港や空港までを毎日サイクリングしているのです。

大学の2年生の時に私は1年休学して、日本半周を自転車で実行しました。バイクでは妻と二人で、私は40年ほど前に日本を一周しています。バイクでは危険な目に何度もあっていますので、「もう、バイクは乗らない」といったら、「Aさんは卒業しているからね。私は今が一番楽しい時」とGさんは言っていました。
写真は40年前日本一週途中での山陰のとある海岸にて、妻が撮影したもので、彼女が私を撮ってくれたなかの唯一うまくいったものです。

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約2年ぶりに三条市のミスタードー○ツに出かけた。不景気風邪の真っ只中の小さな市だ。先日お会いした斯文会の上木さんが、この市に2泊されたそうだ。多分、山沿いにある漢学の里、諸橋轍次博士の記念館に出かけられたのではないかと思う。

さて、このミスタードー○ツでは禁煙タイムがある。それは17時から19時までのわずか2時間が全席禁煙とのことだ。以前、一時、禁煙時間を多くしたら客数が激減したとのことである。いまどき、こんなミスタードー○ツがあるなんてとびっくりする。私が最近出かけたミスタードー○ツは大阪の豊中にある店だ。暗く古い店で好きではないのだが、分煙で絶対数は禁煙席が広い。

この市は異常だ。小規模の会社がおおく、昔は日本で有数の人口当たり社長の多い市と言われたりした。しかし、実態は親父が従業員に十分な給与を与えていないし保障も際立って少ない。ただ、その親父(社長)たちだけがゴルフや飲み屋に入り浸っていたりする。教育には無頓着な親父達が多い。せこい商売のものも多いのだ。しかしこの市出身の大企業もある。コロナやホームセンターコメリもそうだ。これらは一般の会社とはことなっている。でも、大部分の小さな会社は従業員を搾取している連中が多いと古い友人が言っていた。

こんな市のミスタードー○ツの営業もこんなもんなのだろう。

さて、19:00となった。退散しよう。どっと、私とは相容れない面々がやってくる。

多くの企業でリストラが進んでいることと思います。私の懇意にしている企業も2度目のリストラを近々開始するとの事です。今回は前創業経営者一族を含む経営陣が退任し他資本経営陣になってのリストラだそうです。希望退職となっているが、実態は退職させたい人のリストとさせたくない人のリストが存在し、希望退職を募る前に在籍をさせたい者にはあたっておくのが常道ですね。その上で「○○歳以上の方の希望退職を望む」とするわけです。発表後に動いた場合には法的に問題が生ずるからです。そこで、この会社の場合、誰がそのリストを作成したのでしょうか。この会社の癌は殆んどの幹部が前経営者陣に対し完全なイエスマンでしかなく、無責任で口だけ上手く、失敗は部下に負わせるもののみが出世してきていた者で占められているのです。当然リスト作成者もそういった連中でした。

ある有能な者が意を決して
「こんな製品を作っていては消費者の支持を受けません」
「小手先ではなく本当に意味での新製品開発をすべきです」
と言えば「愛社精神が無い!」などと平気でいう連中が残り、有能な者は退職をさせられるわけです。

カスが残るような政策が今後も続くようでは立ち直れないな。
それにしても、カスは立場を作るのが上手い。しかし、新経営陣はそんなに甘くないよ。首を洗っていたほうが良いかもしれないね。

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5時から自転車に乗りました。途中、竹で出来た構築物の前で写真をとりました。これは、新潟市が取り組んでいる「水と土の芸術祭」の一環らしい。ただ、8月に例年開催される信濃川の花火を見るのを著しく阻害する物体でなければいいのだが。ただ、私はこの構築物が作られる当初からみていたので、面白いし、巨大な長さを竹を数百本用意し、徐々に出来上がっていく工程は、それとなく興味はあった。今は、竹でふさがれた入り口と回廊が、細長く弾丸のようはモンゴルのゲルのような竹で出来た構築物とその内部への複雑な経路のように思える。水と土といえばこの河畔をあらわすだろうが、竹をモチーフにすれば融合するというわけではないだろう。でも異物は、きっと直ぐにこの景色になじむだろう。

一昨日から咳と痰がからんで、調子がわるいのです。

昨日は部下に早く帰れといわれました。

部下には小さな子供が何人かいますので、

風邪をはやらせるわけには行きません。

どうも、「私は風邪なんかで休むとは」という発想があります。

最初の会社では「昼間の風邪はひくな」 が鉄則でした。

だから、風邪を理由に自分が休むことは慙愧の思いです。

つくづく、最近は免疫力が低下していることが身にしみます。

本日は、たいして、熱もでていないのですが、会社を休み

ました。

でも、トラブルが発生したために、自宅のコンピューターから

会社のコンピュータシステムに侵入し、クライアントのコンピュータを

操作して復旧させました。

微熱があるのですが、とりあえず、安静にしています。

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