柱(はしら)のきずは おととしの
五月五日の 背くらべ
粽(ちまき)たべたべ 兄さんが
計(はか)ってくれた 背のたけ
きのうくらべりゃ 何(なん)のこと
やっと羽織(はおり)の 紐(ひも)のたけ

柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして
てんでに背伸(せのび) していても
雪の帽子(ぼうし)を ぬいでさえ
一はやっぱり 富士の山

「たけくらべ」という童謡は子供の頃よくうたうことがありました。
で、いつも、粽を食べながら計って柱に傷をつけたのが、なぜ
一昨年だったのかが疑問でした。
ただ、それには触れてはイケない匂いを感じていました。
先日、サトーハチローさんの「たのしい雛祭り」についての
疑問を述べたので、この疑問も調べました。
私はこの他に「赤い靴」や「五木の子守唄」などについても
いくつかの疑問があります。
今後、ここで取り上げるかもしれません。

この歌の作詞家は海野厚という方で、明治39年(1896年)、
静岡県に生まれ、旧制静岡中学から早稲田大学に学んでおります。
この詩をつくったのは、海野が早稲田の学生だった時です。
海野は、毎年夏休みや冬休みに帰郷すると、弟たちを柱のそばに立たせて背丈を測ったそうで、
この歌の中の「ちまき食べ食べはかってくれた兄さん」は海野本人なのだそうです。
この歌をつくった年は体調が悪くて帰省できなかったため、去年ではなくおととし、つまり来年の
事を考えながら作った詩なのだそうで、私の疑問は解決したわけです。
最後に、そしてこの『背くらべ』を作った次の年、大正14年(1925年)に、
海野は肺結核のため、28才でこの世を去ってしまい、
柱のきずが増えることはなかったのだそうです。

午前中にフィギュアスケートがあるのでしょう。
私はOlympicGamesには本当に興味がない。
特に冬の大会は全くといっていいほど興味がない。
どうしてなんだろうかと考えた。
興味がないにも関わらずニュースはヒステリックに
取り上げるので、私にはつまらない日々となっている。
現在のオリンピックゲームはクーベルタンの考えとは
異なっているようだ。
スケートでジャンプを繰り返し練習していれば、
確実にクルブシや膝などに良い影響は与えない。
つまり、健康に悪い競技のような気がして仕方ない。
綺麗だとか美しいフォームだとか表現力などど言われて
体を壊していくのではないかと心配が先にでる。
わずか数分の演技に生涯をかけるほどの訓練をして
それ以外の可能性を交換するだけの意味があるのかが
私には分からない。
本もよみたい、勉強もしたい、友人と遊びたいという
当然の欲求を抑制し、頂点に立てたらなまだしも、
大部分の者は代表選手を選ばれる大会にすら
出れないのではないだろうか。

そんな目で競技を見るのは私だけなのだろうか。
私はいろいろな趣味をもっているがスポーツ観戦
は興味がない。自転車でゆったりと健康維持のため
1日15Kmほど走るのが唯一の私にとってのスポーツだ。

ちなみに妻はフィギュアスケート競技が大好きだ。

同僚のお孫さんが保育園で「うれしいひな祭り」をならってきました。
ついでにサトウハチローさんの作詞の替え歌も歌ってくれて
家族が爆笑だったそうです。

明かりをつけたら 消えちゃった
お花をあげたら 枯れちゃった
五人囃子は死んじゃった
きょうは悲しいひな祭り

昔から、唱歌を不思議に思っていたことがあります。
「うれしいひな祭り」というには、なんとなく寂しく感じられたことです。

それは2番の「お嫁にいらした 姉様に」のくだりに二つの解釈を私がしたことでしょうか。

  1. 年の近い姉が嫁にいって、それを妹が以前一緒に楽しんだひな祭りを思い出して歌った。
  2. 兄に嫁として美しい女性がきて、その女性へのあこがれと思えること。

さてどちらでしょう。
最初の解釈の方は悲しいし短調で作られた曲ともあっているように思ってしまいます。

たのしいひなまつり    作詞:サトウハチロー

(1) 

あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ  桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひなまつり

(2)

お内裏様(だいりさま)と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉様に
よく似た官女の 白い顔

(3)

金のびょうぶに うつる灯(ひ)を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
あかいお顔の 右大臣

(4)

着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひなまつり

本日はバレンタインデーということで、例年のごとく大騒ぎだし、日曜だし、おまけに、オリンピックも始まってしまった。

私は休みの日には母の施設にいくようにしている。
手足の麻痺が大きくなってきている母は顔を丁寧に洗い、タオルで拭くことが出来にくくなってきている。施設の職員数は私が見ても入居者に対して少なくなっているように思える。私は母の顔をタオルで拭いて頭をなでる。
私は半世紀以上前に母から同じように様にされた。しみじみと老いた母の顔を拭くとツヤが出てくる。何でも施設職員だけに任せずに、家族がいけたらスキンシップをとるとよいと思う。母は動きの悪くなってきている両手をいつも動かす訓練をしている。だんだん食事を自分の手でやることが難しくなってきているのを何とかしたいからだ。白髪の頭を手でなでてやる。最近、母は同じことを何度も言うようになってきている。60年近く前に私が赤子だったころされたことを、私は手にぬくもりを感じながら母にするのは悲しいことではあるが、それが出来る自分がありがたいと思う。
母と私には血縁関係がない。
私の実父は私が生まれてすぐに他界した。実父の兄夫婦に養子になった私である。昨日がその養父の命日であった。私は墓参をした。母は57年前の昨日が夫の他界した日であることを理解しているだろうか?
半世紀以上の時がてってもバレンタインデーは単に養父の命日の翌日でしかない。57年前の本日は葬儀であり、大雪だった。遺体はソリに乗せられて火葬場まで運ばれた。すべてが終わり家に帰って母は倒れた。軽い心筋梗塞だった。その57年も前の心筋梗塞の跡は今でも母が定期検査のエコーやCTなどで必ずでてくるのが不思議だ。実父と養父の亡くなった年齢を超えて私は生きているし、再婚した実母も4年ほど前に亡くなった。

妻の住んでいるところは40Kmほど離れているのです。、昨日は大変な雪だったようです。12月から断続的に雪が多く、心底つかれはてているようでした。
除雪の様子が、2台のネットワークカメラで見ることができていて、その苦労がわかるのです。
しかし、一昨日にネットワークが壊れたようで、通信が一切できなくなりました。自宅内のLANは正常に動いているらしいのですから、たぶん、YBBのルーターにトラブルが発生したようです。電源の入れなおしもやってもだめでした。明日、出かけて、確認をします。

気づいたことですが、動画情報や画像、音声情報も入らないと、具体的心配をするのが少なくなるようです。私の一家は家族全員が別々に暮らしている分だけ、ネットワーク環境で情報をサポートしています。その場にいない情報は、なかなか精神的感情的共有はむずかしいし、辛いことが多いですね。
だから、情報化社会のなかでの情報のコントロールについて、ファミリーという単位で対応するのについて、いまだよき対応が出来ていません。

久々、Jadeにやってきた。ランチのデミグラスソースたっぷりのハンバーグを食べた。
マスターが以前からくらべると、いい男になったようだ。髪型かなぁ。
で、月日があくと、おいしくなるのか、とても満足。

私は昔からデミグラスソースのハンバーグは大好きだった。今はなくなった長岡の老舗のレストランのハンバーグは特に好きだった。そこのコック長が「ハンバーグは絶対合挽き肉で若干ニンニクとがガーリックをいれるのが旨くなる秘訣だ」とはいっていたがそんな簡単なことではないだろう。香辛料はもっといれていたろう。ナツメグや月桂樹の葉などはあたりまえとして、ソースは手間をかけていた。その店はデミグラスが中心だった。だから、大量に何日もかけてつくっていた。
そんな店もなくなってしまった。
Jadeのマスターとちょっと自転車の話をした。腰痛らしく、腹筋と背筋のバランスが悪いといわれたそうだ。自転車を毎日10Km~20Km走ると私にとっては健康的だったとの話をした。腰痛にはどうなんだろう。

写真のキャップをmont bellで購入した。2100円だが納得できるし、耳カバーが折れてキャップ内にあるが出せば寒い雪国の冬にも愛用できると感じた。
この企業の製品は好きだ。しかし、ブランドマークのみの製品に見えるのは高すぎるので購入は控えている。私はこのキャップのような若竹色がすきなので、会社に行くときもmont bellのサイクリング用のウェアを着ている。

本日は私の先祖が関係している釈迦塚の歴史についての見附郷土誌へ淡路久雄氏が執筆した論文をスキャナーで取り込み、画像においてカラー化したりしてサイト内で掲載できるようにしました。冒頭の文を淡路氏にいらしてあるので、出来たらリンクをはります。
このブログ名が「####管理人のマニアな生活####」というのは私が釈迦塚歴史考というサイトの管理人で運営者だからです。そのことをチョッと説明すると

サイト名 URL
釈迦塚歴史考 http://www.syakazuka.com
釈迦塚歴史考ブログ http://www.syakazuka.com/wpsk/
管理人のサイト http://www.syakazuka.com/Myself/
管理人のブログサイト http://www.syakazuka.com/wp/

ということなので、実は同じサイト内に存在しています。これは、私(管理人)の自宅サーバーがサイトとなっています。

「◎◎さんが、また部屋に来たんだよ。」と母が言った。
母よりは1,2歳若いので多分90歳前後の女性だ。彼女はよく母に胸を触らせる。「おっぱいが小さくなってしまって大変」だというのだ。だから、「大きく するために牛乳を毎日飲んでいる。」といっている。いまさら、おっぱいを大きくしてどうするのかと母が聞いたら、「二人の息子にやらないと、息子が大きく ならない。」と心配しているのだ。20~30分ほど自分の心配を母に伝えている間、施設内部では◎◎さんが何処に行ったかわからないと大騒ぎだったそう だ。彼女は私がエレベータで2Fに上がった時に大きく開いたエレベーターに向かってきたことがあった。職員はあわてて阻止する場面に遭遇したことがある。 エレベーターが外に通じる道であることは知っているのだが、一旦、外に出たら、戻ってくる能力がないのだ。無謀なことなのか、それとも夢の世界から現実の 世界に入る扉の向こうには生存できないくらいの危険がいっぱいなのが住人の大部分は知らないからなのか。

母の施設はとても環境もよく、介護を主とする従業員は若く手のかかる仕事をやっている。新興住宅地の一部で田畑の見える場所に3層の建物が一見何をしてい るのかがわからない趣で存在している。ビジネスホテルとしての立地ではないし、無味乾燥な工場というわけではない。私はこの手の建物が介護の施設であるの が、この施設のおかげで理解できるようになった。今、新潟のディサービスを中心とした施設は転用されたものが多いように思える。元は小さな食品スーパーで あったり、コンビニであったり、古いビルの1階を利用していたり、商業施設であって駐車場があったものであったり、している。
つまり、ディサービスを中心とした介護施設は多大な投資を必要とせず設立が可能な場合が多いということと、ニーズが同時に多いのだということがわかる。最 終的な業態としてもてはやされているのは100円均一小売業、そして、このディサービスの介護施設のような気持ちさえわいてくる。
その中で、本当に基礎から作ればこうなるのだと言うタイプが母の介護施設のような気がした。1Fはディーサービス、2Fはショートスティ、3Fは優良老人 ホームとなっている。

今朝4時にSmartQ5のGmailで読んだメール。Gさんとは電話で話すのとメールとが半々なのですが、今朝はメールを読みました。厳密にはGさんは昨夜送信したのです。Gさんは最初に会ったときから日本が嫌いになったといっていました。外交官の退官後、県都の国立大学で講師をしているのですが、つきに2,3回あって食事をしたり飲んだりしています。冬の新潟は彼を極度に虚しくさせてしまいます。私も彼の考えに共感することがおおいのです。さすがに外交官だったので、すばらしい日本語でのメールです。このような文章を日本人の若者は書けるのでしょうか、考えれるのでしょうか。以下、知日派外国人の日本人感です。

今晩は!今日は、ちょっと飲み過ぎましたので、本心を言います。私は日本人ではないし、この国と35年間付き合ったにもかかわらず、すごく疲れました。新潟は好きじゃないし、日本も(京都を除いて)大嫌いです。なるべく早く、そして永遠にこの国をあとにしたいのは本心です。友人のあなたにこういうことを言うのはすごく残念だと思いますが、今の日本は、私が60年代の初期で初めて知った、人間性があり、人懐こい、個性がある、変わった人が多かった日本と違って、これといった言った独特の匂いがない、影の薄い、心の温かさ全くがない、ロボットのような冷たい、そして教養のとても乏しい人間しかいない、寂しいところに見えます。今の日本の社会が目指している皆同じの世界は大嫌いです。
それでも今日は面白い一日でした。バイクで60キロを走って、帰り道で佐上商会に寄りました。Kawasaki K125の新車を見て、日本を去るまでに(おそらく4年後の2014年になると思いますが、我慢できなければもっと早く出るかも知れません)どうしても乗ってみたいものだと思いました。9月あたりで、スイスから約束されている、アルバイトが実現されれば、購入したいと思っています。

Gさんは、ニューヨークや東京、大阪にいた外交官時代は車は利用していましたが、バイクは5年ほど前に免許をとって、雪国の真冬であっても天候の合間をみてはバイク運転を楽しんでいます。春になると自転車で信濃川周辺から港や空港までを毎日サイクリングしているのです。

大学の2年生の時に私は1年休学して、日本半周を自転車で実行しました。バイクでは妻と二人で、私は40年ほど前に日本を一周しています。バイクでは危険な目に何度もあっていますので、「もう、バイクは乗らない」といったら、「Aさんは卒業しているからね。私は今が一番楽しい時」とGさんは言っていました。
写真は40年前日本一週途中での山陰のとある海岸にて、妻が撮影したもので、彼女が私を撮ってくれたなかの唯一うまくいったものです。

昨年11月ぐらいからトラブル続きのWeb用サーバーでしたが、ついに昇天してしまいました。原因はどうもマザーボードにあるらしく、HDDまでやられてしまいました。毎週バックアップは自動でとっておいたのですが、なかなか復旧には時間がかかっています。
HDDとマザボは新品として、最初から作り直しでした。LinuxのOSもバージョンをあげています。現在はセキュリティ対策でいくつかの仕掛けをつくっています。現在の運用はバックアップサーバーでおこなっています。
先日ゴールデンタイムで動物番組を見ていたら、動物のハプニング映像やかわいい映像の多くがyoutubeで、既に私が見ているものでした。最近のTV番組は予算がないせいか、Youtubeからのねたが多いように思えます。じゃぁ、TV番組制作は不要じゃないかなんて思ったりもしてしまいます。
私は猫や犬などのペットの映像が大好きでお気に入りに入れています。TVでも流れたしたの映像は本当にかわいく毎日一回は見てしまいます。

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