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私は機械物についてはこだわりがあります。工学的な物にとてつもなく愛着があります。巨大な構築物であるよりは小さなものが興味があります。アンティキティラの機械はもっとも古い物で私が興味を持ったものです。私の父も同じように工学的なものは大好きだったようでした。父は自分でカメラですら作りました。今は製造されていないフィルムサイズでベスタ版です。隣の写真は父のカメラとベスタ版のベビーパールという製品です。フィルムのカウンターは時計の文字盤を細工してつかっていました。レンズはカールツァイスのものです。蓄音機でシューベルトを聞いていました。暗室で現像や焼付けをしていました。手術の道具もこっていました。メスはゾーリンゲンのもので、顕微鏡はカールツァイスのレンズを使っているドイツ製でした。その顕微鏡は完全に美しく手の込んだ木製のケースに入れられていました。当然、その細工は父が職人に頼んで作らさせたもでした。私の住んでいた市の隣の市は桐箪笥の製造で有名な土地でした。今は高級な桐箪笥などはほとんど見ることがなくなりました。私の叔父も開業医だったのですが火事で一切のなくしてしまいました。しかし、その今でも語り草となる大火のあとで、表面が炭化した三竿の桐箪笥の中身だけはなんの損傷もなかったのでした。少しでも空気が入れば燃えたのにもかかわらず、大切な和服は災難を免れた。よくできた桐箪笥はそんなもです。箪笥の良否は引き出しの部分を押して引いてみれば音でわかります。そして、もうひとつの検査は上下左右を逆にしてみて引き出しを入れてみることなのだそうです。同じようになれば、その箪笥は正確にできあがっているということです。これは、私の友人で細君がその土地の出身なので知っていたとのことです。総桐箪笥であるかないかはゼロか百かの違いであります。正確にできた総桐箪笥以外は災害に対応できないのです。父の顕微鏡は寸分たがわず木製のケースに入ります。当時の顕微鏡はとてつもなく高価なものでした。だから父は顕微鏡を入れるに値する正確なケースを金属ではなく木で納得するまで職人に作りこませたのです。
私は模型を作ることが大好きでした。ゴム動力の模型飛行機を設計して、巨大なものを作りました。竹を蝋燭で曲げながら羽根だけでなく、プロペラも作りました。売られているプロペラでは納得できないほどの大きさをつくったからです。小学生の頃でした。当時模型は木で作るのが標準でした。まだ、プラスティック模型はありませんでした。だから、ナイフ(カッターがまだなかったので)や切出しやノコギリや小さな金槌をつかいこなしました。当時の模型好きの子供は小学生でも当たり前のように小さな怪我をしながら大工道具の使い方を習得したのです。もっとも、その時点で父が他界していたので、体の大きかった私は家の棚や小さな修繕はやっていました。中学1年のときにドーバー海峡にホバークラフトが就航したのを新聞で写真をみました。私は見たこともないホバークラフトを設計して作ったのが中学三年生の夏休みの工作でした。バルサ板で作りました。銀色で塗装してマブチのモーターを仕込んで電気を入れると、1mmほど上昇しました。浮くというのは摩擦がなくなりチョッと触るとすべるように動きました。私は、その感動を全校生徒の前で発表することができました。巨大な飛行機もホバークラフトも25年前に壊した土蔵の中に保管していたのでしたが、もはや私の思い出の中にしかありません。写真にでも残しておけばよかったと後悔してもいたしかたない。



