自転車にはまってしまったのはここでは時々取り上げています。

現在の自転車はbiancheのちっこいやつなんですが、

やはり、ロードをやっていた血が騒ぐのか、大きな物が欲しくなりました。

かといって、ロードの自転車は、年齢的に厳しいので、

街中も考えるとクロスになってしまう。

biancheが欲しいのだが、中々、いつ入るのかわからないので、

それと、今後、何年乗れるのかも解らないので、

格安のものでいいだろうとおもいます。

そこで、台湾のGIANTあたりで妥協する予定。

フロントサスペンションがある物を本日試乗しました。

465なんで、私の体格からすると小型の試乗車でした。

購入は2010型の500でないとつらいかなと思っています。

700mmのタイヤといってもロードと比べてギア比が

あらっぽく感じました。

でも、サドルを私用にかなりあげたら乗りやすかった。

春にはクロスで走りまわろう。

自転車は本当に楽しい。

autotribal.jpg

スノータイヤって言わないんだ。スタッドレス?かな?もう直ぐ雪のシーズンだ。準備が必要だよね。

autotribalっていうところで購入交換をしてもらった。以前もやってもらったが、店内の感じがなじめる。私にというよりは若者にだ。向上よりオフィス側は板張りで、昔住んでいたマンションや自分で経営していた喫茶店と同様の雰囲気だった。

ここは部下がオーナーと親しいので会社の車をメインテしてもらっている。

rikuho.gif今の人って「陸王」なんて当然知らないんだね。ハーレーみたいに見えるけど、国産だった。楽しいバイクだった。しらなくって当然か。

店員さんが自称マニアなひとで、動画編集について聞かれました。ffmpegについてお知らせしました。私の場合はffmpegはLinuxのシェルから自動処理で利用する場合が多いのですが、Windowsの人は難しいかもしれません。

駐車場を動体検知してftpで受信した画像ファイルを自動結合して動画とするエンジンとして利用しています。ここでの動画がそうです。

生き返ってから5年たちました。5年前の本日、集中治療室からでて、ベッドに戻りました。いまの時間でしたでしょう。その後の経過はありがたいことに、全く問題が発生しませんでした。生きていることの実感は手術前と後の現在とでは明確な違いはないのでしょうが、人生観については完全に異なったものとなったようです。
自分について客観的に見ることが出来るようになったように思います。色々な妄想が頭をめぐり、宇宙の生い立ちについてが10年で大量なデータに基づく研究によって素晴らしい成果があがりつつあります。私は生物と無生物の違いがわからなくなってきています。そこで、最近、分子生物学のに興味をもちはじめました。少しだけ生物が解りだしたように思えます。
先ほど、母の施設に出かけました。彼女は自分の中にある記憶を私に話します。時々、その記憶にチョッとだけ修正をすると、いとおしい記憶を共有することができます。

闘病の記録

5年前、本日の投稿です。

http://www.syakazuka.com/wp/2004/11/23/

5年前の11月

5年前の12月

11月の末が近づいてくると賀状を用意しなければと思う。民営化になって郵便局の前には年賀状を売るコーナーを寒風の中運営している。ただ、これよりも前の11月上旬から年賀欠礼の報せがくる。毎年多くなってきているし、その分だけ、賀状の購入は少なくなってきている。儀礼的になったこの習慣は、いつまで続くのだろう。PCからプリンターで吐き出された毛筆体も、大部分となった。一文だけでも自筆があるものも少なくなってきた。一昨年までは不自由な身体でボールペンを握って母は賀状を一人一人に書いていた。昨年からは私が印刷して賀状を出すこととなった。来年は92歳となる。正月も自宅で迎えることは不可能と本人は言っている。まだまだ、頭は、それでも確かな部分もある。周に2回以上は母の所にでかける。自宅で介護していたときよりは話をするように思える。感情は揺らぐものだが私は以前よりは母を大事に思っている。私とは28年早く生まれている母だが、男の平均から考えれば、私は今後28年も生きれないだろう。

まあ、贅沢なことなのか知らないが、長く生きることではなく五体満足で思考能力があるだけの時間をこの星からいただければ十分だと思いますね。

grx_1.jpg

grx_2.jpg皆さんは銀塩カメラをまだ使用していますか?私が最初に銀塩カメラを操作したのは半世紀以上前のことです。二眼レフでミノルタオートコードという製品でして、戦前のものです。30台半ばになるまでは銀塩カメラが中心でした。一眼レフや二眼レフのマミヤC330 に至るまで、5,6台ほどもっていました。40台半ばで最初のデジカメを購入してから、15,6台のデジカメを購入しました。銀塩カメラではフィルムの大きさとレンズでほとんど撮りたいものが取れました。ところが、デジカメは画素数だけでなく、ファームウェアの進歩で恐ろしいほど写真が変わってしまいます。銀塩の場合は確かに現像や焼付けのテクニックを楽しむことが出来ました。デジカメではPhotoshopやGimpなどの画像加工ソフトによって色々な画像に変化します。デジタル技術の進歩はハイキーになって色が飛んでしまいがちな場面もアナログ的なだらかな色の変化も実現が可能となってきています。また、ボケについても銀塩にちかずいてきています。

しかし、技術変化は常にデジカメそれ自体を購入しないと実現が出来ませんでした。一眼レフのようにレンズ交換で可能な部分もありますが、銀塩のようにフィルムによって性格を変えるわけには行きませんでした。デジカメで理想とする姿はボディ、レンズ、画素数、ファームエンジンが交換式で選べることが出来れば最高です。銀塩式レンズ交換のカメラに近づきます。

今回、12月に発売されるリコーのGRXはその意味で理想に近づいた製品に思えます。 デジ一から比べても高価であると思えますが、マイクロフォーサーズではないデジカメ理想のアプローチの姿であろうかとも思えます。

昨日、ブログ更新をしようとしたら、PHPとMysqlのエラーメッセージが出現した。一週間ほど前にはもっと酷い現象に遭遇したため、サーバーを立ち上げなおし、fsckでとりあえずのカバーをしたのだが、今回は復旧までに6時間ほどかかってしまった。でも、安心というわけではなく、おそらく一週間以内に壊滅的状況を再現する可能性があるように思います。

原因はHDDの疲労にありそうなのです。そこで、今回は暫定的BackUpサーバーを構築しました。実は一週間前にもつくっていたのですが、Webサーバーのカスタマイズに失敗したらしく納得のいくパフォーマンスが出なかったので、再インストールしました。結局、全てのバックアップが終了したのが夜半をすぎたころでした。

でも、このサーバーは朝方にかなりハードな画像処理を自動で行っていて、それらのプログラムや仕組みまでの復旧が終わっているわけではありません。多分、一週間以内にバックアップサーバーに一旦切り替えて、本サーバーのHDDを入れ替えて再構築を試みなければなりません。

自宅サーバーですと、こういう厄介なことが発生します。そのたびに時間と体力を消耗するのが管理人の仕事です。バックアップサーバーは10月27日のブログ に書いたようにキューブ型の筐体なのですが、電源の音がうるさくて、時間と金があったら、Atom330あたりのCPUでファンレスコンピューターでも作りたいと思っています。

本2冊

 最近自分で読書という習慣が著しく後退してきているのを感じます。若いこと、休みといえば半日は本屋で過ごした私。何のカテゴリーでも好きになり、本を 持ち歩くことが日課であり、いたるところで本を読んでいました。本の場合は多くとも10冊ぐらいが体力と勘案した場合の限界でした。ですから、読書は自分 が何を読みたいのかを事前に設定して持ち歩いていました。
なぜ、最近読書をしなくなったのだろうと思い見れば、やはりインターネットという巨大な 虚実世界が情報を提供してくれることでしょうか。私が以前持ち歩いていた本から長時間稼動が出来るノートPCとイーモバイルという仕組みで何処でもイン ターネットを実現できる環境を入手したことが読書という習慣を遠ざけてしまったと思っています。情報から情報へ果てしないリンクの世界に刹那的時間を過ご しているように思えます。つまりじっくりと考察するという本のよさを忘れてしまっています。8月17日に、東北大学の先生から著書を頂戴したのです。いま だ、その本を完読していないのです。以前の私には考えられないことです。
私は読破力の低下を感じてしまいます。そして、読書はもう出来ないのではないかとも考えてしまいました。新潟市の中心部に住んでいながら、会社と自宅とを往復するだけで、この2ケ月間商店街を歩くことも、食事をすることも考えてもいませんでした。
なんの脈絡も無く、読書が苦手となってしまっている自分について考えているうちに、商店街の本屋に出かけました。最もそれは、娘にfedoraというコンピューターOSのDVDを送ってやるために中心部に日曜でもやっている郵便局に出かけたついでに立ち寄ったのです。
相 変わらず、コンピュータ関連の本はネット情報の後追いでしかなく、興味のある歴史書については既に読破しているものばかりでした。コンピュータ関連の棚の そばにある平積みの新書の中に私の好きな題材がありました。講談社現代新書の「カラー版 ハッブル望遠鏡宇宙のなぞに挑む」という新書です。ハッブル望遠 鏡がどの様なものかはご存知だと思います。この望遠鏡からの写真は勿論ネットで取得は出来ますが、カテゴライズされコメントされている写真集として、さほ ど読破力を必要とせず写真を「すっごい」と言いながら見る絵本としてなら今でも読めるという気軽さから購入しました。
この本の隣に「ヒトの眼が切 り取った部分は人工的なものであり、ヒトの認識が見出した関係の多くは妄想でしかない。 私達は見ようと思うものしか見ることが出来ない」という黄色く幅 広の帯のかかった同社の新書が眼に入りました。これは裏面であり、表面からの本のタイトルは「世界は分けてもわからない」というものでした。なんと魅力的 なコメントでしょう。私が欲しがっていた内容がその中に詰まっているように感じました。勿論、それも妄想でしょう。この福岡伸一氏の新書を迷わず購入しま した。喫茶店に行き、福岡先生の本をあっという間に三分の一ほど読んでしまいました。軽快なリズム間と謎解きににた知識と肩の力をぬきながら楽しむだけに 文字を追い続けながら、「自分が選んだ本ならまだ好きなサイトをブラウズするように読める」という風に感じることができました。
喫茶店内では編曲されたBeatlesのFool On the Hill が流れています。なんと似つかわしい。