夕刻に芦屋のK.Wさんに電話をしました。私とは特別な運命でつながっている人で、K.Wさんの母上とは特に強い関係のある人です。彼女の母上は4年ほど前に他界されました。阪神大震災の時には芦屋もかなりのダメージを受けて、大震災の2,3年ほど前に建て替えた彼女の家を除いて左右の家は全壊したそうでした。K.Wさんの娘さんが唯一私の娘の年齢に近い人なので、ホッとさせられます。
明日、芦屋にいってKWさんにお会いして食事をするのですが、以前、KWさん一家と食事をさせていただいたカレー屋さんの味がわすれられなくって、そこで昼食をとることにしました。
芦屋のインデアンカレーと言う店で辛いけれど甘い、一度食べたら忘れられないカレーなんです。明日食べると2度目なのですが、今から楽しみです。
昨日は休日だったのですが、得意先からネットワーク全体がダウンしたとの事で社員総出で復旧しました。100台以上が入り組んでいるネットワークシステム で固定IPが重複していたのと、HUBが15台ほどあるのですが、一台がループしていました。人事異動時期になると無謀な社員が無理をするので、こんなこ とが起こってしまいます。ひどい目にあった。
さて、現在、梅田のヨドバシカメラの地下テナントのエクシオールカフェで珈琲を飲んでいま す。9時35分のJACで新潟をたち、大阪空港に到着してから、まだ数時間しかたっていませんが、すこぶる、体調がいいのです。やはり、飛行機の方が時間 がかからず、疲れも無いようです。ただ、一時間ほどで関西圏に入ってしまうのと、エンジンのすぐそばに居たので耳の調子が悪いようです。列車ですと関西圏 に入る前に各停車駅を通過するごとに、準備ができるのですが、短時間に来てしまうと、突然、さほど好きになれない文化圏にはいってしまい、違和感を感じ ています。この違和感の解消には後4,5時間かかるでしょう。
![]() |
![]() |
au の通信カードを会社で購入しました。本日は彼岸で会社としては休日なのですが、実際は仕事が舞い込んできます。その際に出先から会社のコンピュータを操作したり、サーバーにアクセスできる通信環境がせめてVNCが操作できる環境が必要だとかねがね思っておりました。そこで、急遽購入をきままして、現在操作しています。休日の朝は近くの珈琲屋かファーストフッドに出かけます。本日はモスバーガーです。そこからこのauのW05KというCF-TypeⅡの通信アダプタを利用してブログを書いています。最大で下りが3.1Mで上りが1.8Mというのが購入の決め手となりましたイーモバイルは下り通信速度はもっと大きいのですがカバー領域が少ないのと上り通信速度が低いのが選択を回避した理由です。
早速、データ処理でトラブルのあったシステムに侵入し、直しました。現在のサポートはシステムが高度になればなるほど、相手方のシステムをコントロールして操作しなければならない局面はおおいのですね。でも、サポートもリモートでやる場合には私の会社のように小さなソフト屋は中々動きがとれません。そこで、休日には、このカードと長時間稼動可能なノートPCを持っていれば対応は可能です。私はPanasonicのCF-R4で私以外の社員はCF-R6を持たせています。わたしもR6は持っていますが、普段はR4しか使いません。
個人的な情報バンクとしての小型のコンピュータがあると便利だと思っていますが、その点、電子辞書は有用です。追加更新が出来ない不満より、重量、コンテンツを考えれば十分納得が出来ます。白黒の液晶ディスプレイ搭載の機種では単4電池2本で稼動するのが標準ですね。重さも400グラム前後で辞書を含んで100コンテンツも搭載していて20000円から35000円で入手できます。今回CasioのEx-word(XD-SP6600)を妻のために購入しました。妻にとってこれで3代目の電子辞書となります。この機種はタッチパネルをサポートしていて、広辞苑も最新の六版がのっていました。英語の発音も合成音ではなく、女性のネイティブの発音でした。
実際原稿を書く場合がビジネスや個人の趣味でも多い私にとりまして、このような電子辞書があることはとても有効なのですが、私はネットを前提にしていますので、とりあえず、必要性はありません。もしも、SDカードのインターフェイスを持っている電子辞書もおおいのですから、電子辞書にメモ帳機能だけでもいいですから、ついていたら有難いのにと思うのは私だけではないでしょうが、やはり、著作権の問題がクリアされなければ解決しないのかもしれません。もしも、メモ帳機能があれば、私のSigmarionは完全にお役御免となってしまうでしょう。
「軽薄短小」使い古された言葉だ。ITの世界ほど、この言葉が日々現実味をもって感じられる世界はないだろう。私が最初に個人で購入したHDDは40MBで198000円もした。現在は1テラで2万円を下回っているし、当時は3.5インチで800gほどの重量です。現在0.5gで16GのHCSDは7000円弱で購入できます。重量で1600分の1なのに容量は400倍価格は28分の一です。HDDどうしを比べればもっとすごいことになりますね。これが、メモリーやCPU、グラフィックなどのハード性能を比較するなら、文字通り桁違いですし、それも、各ハード部品で3桁ほどの桁違いですので、総合的には考えられない代物となります。
高性能で小さく軽く薄く安くなってきています。これはコンピューター本体にもいえるわけで、現在のPockPC(PDA)や携帯はWindows98クラスかそれ以上のパフォーマンスを発揮することも可能と言えるでしょう。コンピュータ本体の小型化は次第に限界にちかづいています。つまり、小さすぎると操作ができにくいということがその理由です。
次に、ハードとして期待されるものはキーボードレス(高性能音声認識)またはバーチャルキーボード、ヘッドマウントディスプレイ、超小型のプロジェクターなどが要求されるでしょう。これで、コンピューターは机からノートになって、次にはポケットや身にまとうものとなるでしょう。そして私はそれらが現実になることを前提としてのプログラムの開発をしています。
先日、掃除機を購入しました。少し前まで、5万円もしたのですが、新製品の影響で3万円以下で入手できました。吸引し始めると、ハウスダストとダニを検知 し、ランプで知らせてくれます。アレルギーの家族を持つ家庭では重宝されているのだそうです。完全にそれらを吸引してしまうとランプは消えます。おかげ で、毎日帰宅すると掃除機をかけるのが楽しくなりました。肺を手術したので、ハウスダストは気にしていたのですが、こんなに多くダニやハウスダストが存在 するとは、びっくりしました。ついつい、床においてしまうのを止めて立体化して全体をカバーする扉付きの本棚や収納家具に変更したら、部屋の中で深呼吸が 出来るようになりました。今、掃除機に夢中です。マニアになりそうです。
私の趣味の一つに古代日本史の研究があります。古事記、日本書紀、先代旧事本紀などを主に研究しています。とは言え、素人ですので、適当です。この ような、昔の歴史書を読んでいて、いつも気になるのが、どの時点で誰が編纂させたかという問題です。つまり、時の権力者にとって不都合な歴史は削除された り、省略されたりしてかかれないことも多いと思えるからです。現在、我国においての沖縄戦の記述が教科書問題となっていることですら歴史がどのような立場でかかれるかを明確に理解することができますし、中国では1989年6月4日にあった天安門事件ですら中国国内ではネットで検索することすらできません。こんな国家が他国について「歴史認識」などと言う資格はないのですがね。
私の知っている会社で創業○○年史という本を社内や取引先向けに出版したことがありました。まあ、チョッと社名が通りだすとありがちな話で、その会社も実 践したわけです。その会社の黎明期に活躍した人が、仲たがいをして出て行ってから、その会社史を読んだら、「自分のことは何一つ乗っていなかった。」と 怒っていました。多分、その方は喧嘩をせずにその会社に残っていたら多くのページに掲載された方だったのでしょう。
「勝てば官軍」と言う言葉があります。
私はかつて、三つの会社の倒産または買収される側に立ち会いました。つまりその当事者だった経験をもっているのです。買収した側(つまり官軍側)は、いか に買収された側がずさんで、買収された側の経営者は無能で社員は未開人みたいで経営が時代遅れで損をしたかを公式非公式の場で言います。私は、それが疑問 でした。事実と反していることが多いのですが、この間違った認識は事実にすりかえられます。そのような現場を何度も体験してきています。別に勝ち組も負け 組も、経営者の品格は同程度ですが、規模がチョッと大きかったり、情報がチョッと先に手に入っていた程度のものが大部分でした。ところが、現在、このIT 革命の最中、経営者の本質が試される本当の時なのです。間抜けなボスに支配された組織は完全に行く場を失うでしょう。江戸時代300年の情報は現代では半 日分にしか過ぎません。歴史に学ぶのもよいですが、学ぶなら、カンブリア紀を参考にすればいいでしょう。徳川家康などといっていては「井の中の蛙」にもあ たらないと言うことにもなりかねません。
企業も法の上では人格を持っています。生き物である以上は運もあり寿命もあります。内部で常に革命をもたらす組織論理をもたないなら、いずれ死んでしまうでしょう。そして、誹謗中傷した勝ち組が敗残してしまうこともあるのですね。
企業史などといえ、そのような、時の経営陣にとって良い所がかかれます。
古事記、日本書紀に代表される古代についての歴史の読み方については、その「為政者について都合の悪いことは削除されるかデフォルメされるか悪と決め付けられるかだ」という原理を念頭に置くべきでしょう。
大和王朝黎明期において、卑弥呼、出雲などが形を変えて記紀に記載されているのではないか、つまり、当時の編纂者は明確に卑弥呼や大国主命がどのよ うな人物であり、どのように大和が彼らを崩壊させるか吸収したかを明確に知っていたと私は思います。これらについて、今後、この場で書くことは少なくなる と思いますが、「歴史に学ぶ」という言葉も、そもそも歴史とはどういうものか、誰のための歴史なのか、疑問をもちながら見ないととんでもないガセをつかま されるということになるのでしょうね。
さすがに都会とはいえ22時38分の阪急はすいていました。私のほか座席には乗客はおりませんでした。ふと向かいの座席をみると、白髪の老人が座っていました。
「男 は40過ぎたら自分の顔に責任をもつこと。自分の人生はかなからず顔にでる。」これは祖母が私に言い続けた口癖でした。祖母はいわゆる猛女だったと思いま す。日清、日露の戦いに出兵した亭主の留守を預かり、男の子供たちは医者と学者にし、女の子は師範にいかせたのですから。本人も学者肌の祖母の言葉の重み と、祖母の顔を私はあまり好きではありませんでした。
現在、私は若いとき憧れたり考えた自分の仕事や考え方になってきていると思っています。その点では不満がないのです。
物事をわかったような、それでいて、自我がつよそうな、白髪の老人。高田純二みたいな顔がいい。あのような一面ももっているはずだと思いながら、座席正面の顔をみていて、列車の前座席の老人がガラスに写った私であることはあまり認めたくないと思いました。
で、もっとも嫌になるのは自動的にこのような文を書いてしまう自分です。
昨日、大阪にきました。
プログラム上で関数を作成していて一番気がかりなことは関数が返す値が多重に繰り返される関数群の中の、どこかで致命的な間違いを犯していた場合、どのレベルまでシステムが戻れるかであるでしょう。実際のエラーとしてその関数を呼び出した最上位の関数まで戻れない場合は、そこまでの処理が追行されているという問題を抱えています。たとえば、データーベースに追加をしているデータを作成している時、根本的な間違いがあった場合は、スタートに戻れることは大変有意義です。関数は作っている間に、関数仕様詳細の管理からプロジェクト参加者が開放されたら本当に楽であり、エラーは少なくなるでしょう。つまり、大抵の場合は関数の詳細仕様についてプロジェクト参加者は完全管理をしない限り、安全なシステムは構築できないのです。この部分はプログラマーやSEと言った人に由来するものです。つまり楽観的システム構築といわざるを得ません。このようなシステムがいかに多くの危険性を含めているかは容易に理解できるでしょう。
この楽観論をいかにシステムが出来るかを構築する方法があるのでしょうか?、それはフレームワーク、それとも、革新的OSなのでしょうか。今日は答えのひとつが見えたようにおもえます。興奮しています。


