私は幸か不幸かシステムに関して人に教えなければならない機会がある。多分、30年もこんな事をしているからだと思う。私が初めてプログラムを組始めた 頃、「日本語でプログラムをくめたらいいなぁ」と思ったことがあった。当時はC言語を始めたばかりで、マクロ置換(定義)を使えば、そこそこ出来るのでは ないかと考えた事もあったし、たしかMINDという日本語コンパイラもあったようだった。しかし、人間の使用している言語でプログラムを記述していくと、 可視性と論理性がみえにくくなる。それは古典的COBOLのわり算やかけ算を記述している文では分母と分子がどちらであるか、掛けられる数字がどちらなの か、おそらくネイティブ連中でも可視性が悪く感じるであろう。
行番号やgoto文のある言語を利用していて、構造化言語にトライするとこれがま た、理解が出来にくくなる。人間の自然語ごしての言語とコンピューターのプログラミングのための言語には多くの差があるが、論理性と可視性と構造化やカプ セル化といった現在のシステム言語の合理性はいったん収得すると色々な事物や現象にたいしてすら分析力が格段にあがったように思える。
言い過ぎかもしれないが、実感だ!