マンションに巻きつくようにねじまがった車両を見て、日本の事故ではないと思った。恐るべき事故が発生した。被害にあった方々は苦しんだろう。痛かったろ う。痛いだろう。辛いだろう。怖かったろう。何があったかわからないうちに命をなくされた方もいらっしゃるだろう。本当に亡くなられた方々には、ご冥福を お祈り申し上げるという一般的な単語以上のものを私のボキャブラリーでは持っていない。怪我をされた方々を全力を尽くして、医療のチームやレスキューチー ムや市民の方々も助けてやってほしい。
事故といっても天災であっても事前の予測対策があればと思える場合には人災との位置づけとなるだろう。
私はまず第一にテロを考えた。それから、運転手の問題を考えた。ATSを無視したのだろうか?運転手の問題なのだろうか?伊丹駅をオーバーランした運転手だという。それも過去にもその経験があるという。免許をとって11ヶ月だという。
テ ロとして考えるのは、それにつけても、僅かなスピードでこんな事故がおきるのだろうか、理論上135Kmでないと脱線はしないという。事故車両は最高時速 でも120Kmしか出ないという。何か複数の要因から事故は発生したのではないか?線路のメンテナンスはよかったのだろうか、不審物が置かれていたのでは ないか?もし、そうだとすると、「いたづら」などというものではない。「いたづら」などどいう単語はだいっ嫌いだ。また、それ以外に何かが落ちてきたのだ ろうか。救出を第一に全てに優先して行ってほしい。原因追求は後でもよいが、徹底的に洗い出すべきだ。それが、日本のぼけっとした日常に潜む危なげな亀裂 を見つけ出すだろう。
私はシステム屋なので、システム上のトラブルを考える。一般的にシステム上のトラブルを発生させるのは人間が規則を無視した場合である。一般論で片付けるわけにはいかない。
最近、関西方面の事故や犯罪が多いように思える。娘が大阪に住んでいるので、特に注意しているせいなのかわからないが。個人的に多くの知り合いや親戚が関西にいるので心配だ。
特 に、もしも、これがテロの始まりなら、日本は日常という常識の箍を外せば大量破壊兵器が発生することを理解する。柏崎のように東洋一の原発を持っていると ころはテロ対策を実際に日本ではやっていない。4,5人の武装グループで簡単に占拠できるだろう。地下鉄の危険性はオームでわかった。9.11で航空機が 大量破壊兵器になることが立証された。大量の輸送手段、巨大なエネルギーが僅か数人の人間でコントロールされている現実に不安を感じる。
38年前の写真 |
本日の写真 |
私 は代休日となるとカメラをもって外に出ることが多いのです。勿論、毎日、デジカメは携帯しているのだが、代休ではなにか目的をもって撮影をする事が多い。 この時期私は花の撮影をよくします。桜は当然題材となるわけですが、それ以外にも手当たり次第に花や風景の写真を撮影いたします。
私はヒドイ花粉症なので、本当に怪しい人物みたいに、大きめのサングラスにマスクと帽子をかぶって外にでます。
こ こに、2枚の写真があります。一つは私が大学生の時に撮影したものです。そして、もう一つが本日撮影したものです。大きな石碑がなくなっているのがわかり ます。このお寺は県内で最大の東本願寺の別院なのですが、バブルの絶頂期に境内にあった石碑を、なんの断りも無く、地中に埋めてしまったとの事でした。自 分の境内にあれば自分が勝手に処理できると考えているような僧侶が地元の意向を無視して歴史遺産を破壊してしまったわけですね。
私は京都が大好き で、年に三回は出かけます。古いものが祭られているからです。親鸞の弟子達はコンクリートが大好きなようです。ブルトーザーとローラーで「聖地」するのが 大好きなようです。鐘突き堂もコンクリートになりました。境内には鉄筋の幼稚園に鉄筋の事務所が出来ています。まあ、時代といえばそうかもしれません。墓 石や位牌など、何百年もあるから、その子孫が墓参に来るわけです。
確かな事は昔は多くの善男善女がお参りに来ていました。今、一日のお参りに来るのは10〜20人ぐらいじゃないかなぁ。まあ、しょうがないよね。私だって参りたくない。私は門徒でなくってよかった。
今日は代休日、ネットカフェで書いています。
「なせばなる」と骨抜きになってしまうのではないかと郵政民有化に心配しています。首相の唯一他人事 でない政治政策(?)らしいが、ツケを支払わされる国民は本当にむかむかする。大阪みたいに郵貯で借金泥沼漬けになったって、誰が決済すると思っているの か?大阪市の役人は10年ぐらいは無報酬で働けっていいたいよ。勿論、屁理屈で特定郵便局の太鼓持ちをやっている連中と郵貯を自分の財布のごとき感覚で箱 物をつくる政治家と天下り先で血税を搾り取る官僚ドモたちには個人情報保護法を適用すべきではないように思える。
支那の反日について支那 政府共産党は必死に火消しをしようとしている。掲示板サイトの反日文書を削除させている。それはそれで、政府の介入は問題があるのだが、もともとが自分で 火をつけたわけだ。だから、もっとも警戒すべきは結果として脳タリンの人民が民族主義に傾注しすぎたことが国際的には発展途上国のイメージを定着させる結 果となってしまったわけだ。こんな国家がはたして、国連の常任理事国であることの資格を問われることとなるわけだ。最近になって裏で手をまわして、大使館 や領事館の修理を申し出ているそうだ。私は以前も述べたが、日本側は正式に謝罪がない限り応じるべきではないと考えている。そして、おびただしい数の投げ 込まれたペットボトルや、インクやペイントや生卵で汚された施設を、モニュメントとして保存しよう。当然2008年の北京オリンピック以後もその、モニュ メントは展示されるべきだし、完全に廃墟のごとくにされた日本の外交施設はそのままにしておくことだ。支那の「放置国家」足る所以を内外に知らしめる絶好 の展示物となるだろう。少なくとも、支那を法治国家として見とめるわけに行かない実在の証拠であり今後は記念碑として治外法権の外交施設すら守られない国 家の証拠となる。支那の政府は所詮共産党独裁支配の国なので、共産党がどう考えているかが大切で、人民に対する間違った情報操作がこのようなITの時代に は諸刃の剣となることが理解できたら、ペットボトルで作ったモニュメントを天安門広場にでも飾ってほしいものだ。
だから、一部右翼 (だとしたらザンネンだが、マスコミウケをねらった支那や朝鮮の工作員の仕業かもしれないが)のように日本の支那の施設に脅迫や嫌がらせをすべきではな い。銃弾や剃刀の刃を送ったり、表札を赤くペイントしてなんになる。多少は気持が晴れるかもしれないが、かの国の偏向情報操作されたバカ人民のように我々 が思われる。
管理人さんの言われる
>上海の領事館はあのままにしておいたほうがいい。かたずける必要はない。
賛成です万博に来た世界中の人に彼らの愚行を見てもらいましょう。
また、>内側から外を攻撃できる以上、外からもできるのです。
そのとおりですね。
Sさん
スウェーデンでも報道されているそうでよかったです。
遠い東洋の出来事ですが、愚行を知ってもらいたいです。
Nさん
彼らにとってPCのネットは公衆電話みたいなものなのすか了解、了解(笑い)。
今回の報道で知ったのですけど、上海の公安がデモを辞めさせるために(形だけ?)携帯メールで警告をしたとありました。
なるほど公衆電話では伝わりませんわな(笑い)。
携帯電話の番号を公安が管理しているって恐いですよ。
(注、日本でもD社同士ならば、アドレスでなくとも番号だけでメールは出来るそうです。他社同士は分かりませんが)
でも会社は番号、アドレスなどは犯罪捜査でなければ警察に協力しませんよ。
反日デモで、管理人さんはじめ、皆さんから解説があり、納得できるものばかり、異論はありません。勉強になりました。
要は、なりふり構わ ず、いつまでも一党支配を維持するため、そのため人間を子供の頃から養成する教育、平気で嘘をついたり不都合なものは包んで隠してしまう。全く困ったもの です。以前、テレビ画面で同じ色のボタンがたくさんついたネクタイが要らない服を着たおじさんが見えなくなり、時代が変わったかと思わせながら、なにも変 わっていないと思います。
金儲けのために、手段を選ばず、相手をこき下ろし、強かに金をせびる。これに負けないでほしい。退けばどこまでも押してくる。謝罪しないできたものは、今更、絶対に謝罪すべきではないと思います。
今朝のスーパーのチラシに、イカの胴体だけ「つぼぬきイカ」1杯100円生産地「中国産」生椎茸…買わないようにし、ささやかな不買運動をします。
図らずも、今日此方の人に尋ねられました。
「中国で起きている事の問題は一体何なんだ」と云うのです。
何と云って説明したら良いか困ったのですが、「切っ掛けは”日本が国連常任理事国に”と云う意思表明がデモの始まりになったみたいだけど、大本には昔からの日本への恨み辛みがソモソモなんだと思う」と説明したのですが、果たして判って呉れたか如何か…
「何でそんな昔の事を今頃云い出しているのか、馬鹿げている」と云うのが、彼の反応でした。
彼から訊かれて、此方でも報道されているのか訊いたら、結構報道されているとの事でした。 と云う事で、昨日の私の書き込みはその部分修正します。
ニュースで上海総領事館の光景が流されましたが、何と云うおぞましい光景だったでしょうか。 当に狂気の沙汰の残骸です。
今中国、中国と我も我もと流れて行っていますが、果たして如何なんでしょうねぇ…
彼等にして見れば利用するだけ利用して、後はさようならと云う事になりはしないでしょうか? 私にはどうもそう云う感触が抜けないのですが…
日本の残留孤児を育てて呉れた中国人も居る反面、思いも掛けない程に粗暴で群集心理に乗って行く中国人も居ます。
何処の国民にも、トッパズレた人が居るとは云いますが、あのデモに集まっている人達は、その集合体の様に見えます。 あの様な行為をする事に拠って自己陶酔している様にも見えます。
殆んどが若い人達ですが、思想統制の結果が其処に明らかに出ています。
こう云う状況を見るに付けても、恐い国です。
今ヨーロッパで、武器禁輸解禁に絡んで、中国の人権問題が俎上に乗っていますが、当然の事です。 基本的人権の認められていない国は、民主国とは云えません。
こう云う事を考えると、一党独裁は如何な理由が有ろうとも、排除すべきですね。
中国は、未だ未だ野蛮国、野蛮人と思います。
Nさんのおっしゃるのは私も想像がつくのです。私は反日教育の具体性、日本企業が現地で搾取をしていると思われているのか否かを現地に過ごされた人が肌で どう感じているかなどが知りたいのです。つまり、Nさんが体感したエピソードがありましたら教えていただきたいのです。日本のマスコミがメディアの担当者 として現地で感じたこととは企業内で体験されたことが一致していればそれでもいいのでしょうが、何かしらマスコミの論評も一つの意見なのでしょうが、日本 の論評はどのメディアであっても同様な切り口で納得できないのです。多様化している社会なのに、朝鮮とこの問題についてはあまりに画一的な論評でともする と希望的で楽観的な想像の範囲内でしかありません。
客観的真実などという迷信を信じているわけではなく、色々な角度からの意見や感想が知りたいの です。そこで、私は自分なりに判断して、もっと、それらの国について調べるのをするかどうかを決めてみたいのです。なぜかって言うと、それが私の趣味なん ですね。私は好奇心の強いもうすぐ枯れる葦なんでしょう。
>私は、北京オリンピックの前後に中国で政府と地方(地域格差)が原因となる争い(内乱?)が起こるのではないかとの危惧を持っています。
2008年までは持つと思いますが、ネットからの情報の流入が東欧諸国と同様に政府を変える可能性があると私も思います。
知り合いの作ったプリンを撮影してみました。
写真撮影は大好きなので、凝ってみます。
試食したらうまくなかった。でも、写真ではまずそうには写りませんでした。
やっと試行錯誤のうえ、BLOGっぽい日記帳の見た目ができまして、これをとりあえずの完了としたいと思っています。
さ て、仕事上で本日、dellから40gのラックマウントのコンピューターが入りました。ともかく重いのでびっくり。ラックの組み立ては私は行いません。 39800円のこのコンピューターは、値段は安くともさすがにサーバーです。本稼動でRedHatのライセンス版にしますが、現在は FedoraCore3をインストールしています。たった今現在はyumで最新のシステムに変更中です。
DNSとしての利用がメインなのでたいしたことはいたしません。
Postfixもここに導入するかもしれません。
世田谷は代田2丁目の駅から歩いて5分くらいであった。井の頭線で幾つ目も駅だったか、渋谷、神泉、駒場、池上、下北沢、代田2丁目かな?
代 田2丁目は渋谷から降りると改札口には階段を上がらなければならない。即ち、井の頭線は地面より低いところを川の流れの様に走っていた。改札口を出ると、 目の前が環七で駅をはさんで片側に西友スーパーがありもう片側に木造の昭和20年代を思わせる歯医者の建物があった。たしか一度だけその歯医者にいった事 があった。押しボタン信号で環七を渡ると左に曲がると洒落た喫茶店があったような気がする。それからチョット中に入ると羽根木公園があった。緑と土がたっ ぷりとある公園で田舎によくあるそれを思い出させる手入れのそうたいして行き届いていない小学生やそれ以下の子供達の溜り場であった。右に曲がって2本め くらいの小路を中に進むとすぐに私の宿に行き着く。
環七沿いには間口2軒ほどの寿司屋があって、若い板前と五十がらみの主人と明らかに芸者上がり という女将の3人で切り盛りしていた。下半分がすりガラスで白木の珊の引き戸からは暖簾越しに中の様子が見て取れる。12尺程度のカウンターがあって、奥 には2畳の休憩場が殆どこたつに占拠されているのがふすまの合間から見えた。カウンターの奥にはには店に似つかわしくないほど大きな熊手が飾ってあった。 私は当然そんな店に本来いける程のお金を持っていなかったのだが、どうしたわけかきっかけは思い出せないのだがそこにおにぎりを食べによくいった。おにぎ りが若い板前の手の中で徐々に三角に出来る姿がとっても新鮮だった。私はそれまで三角のおにぎりなぞ食べたことがなかった。おにぎりといえば母が小学校の 遠足の時に大きな炭団のようなものを作ってくれたし、その後は今のようにご飯は電気で炊かないものだから釜の底にはオコゲがたまによけい目に出来た時なぞ にそれを醤油でうまく味付けして母が握ってくれたりしたのを戴いただけだった。現在は逆にどこでもおにぎりといえば三角の物だが木の型に入れたものや機械 で作ったもので角が気になったり、自分でビニールに包まれた海苔を巻かねばならなかったりして気に入らないし、あの時の感動がない。私はそこで、さらに 「おかか」が握り飯の具として最適であるのも体験した。そこでの握り飯は本当に最高であったし、いまでもそれ以上のものはなかった。いつも私に握ってくれ たのがその見習いの板前であって、主人や女将は私に一瞥もくれなかったように思う。で、その握り飯は僕にとって本当にカルチャーショックだったわけで、そ れ以外その店では何も注文しなかった。ある時、ほとんど徹夜で朝4時くらいに外の空気を吸うつもりで宿から環七を散歩したときに、その板前に出会った。 ちょっと会釈して彼は「これから築地まで仕入れですよ」といって駅に向かっていった。そんな早い時間に電車は動いているのかどうかは知らないし、あるいは 他の交通手段があったのかもしらないが、私には信じられない光景であった。
