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浅野家由緒書(写)  NO_10
浅野次五右衛門書(延宝二(1674)年八月)
楷書化

一 寛永十三丙子年釈迦塚新田相立
致開発候に付、旧臣の内一組弐拾五人のもの
百姓にしすへ、其砌上屋敷引取当村へ住
居仕候得は、一組弐拾五人の家来其
侭致扶持置候、其頃片岡新左衛門、
山庄小左衛門様御郡にて開作の事に付年々中之島へ
御越被成候間、村々開発の世話仕
御奉公申上居候御事
意味

一、 寛永十三(1636)年、新田の開発がおわり釈迦塚として成立し、旧臣の内一組二十五人の者を百姓にしすえ、そのとき、(坂井の)上屋敷を引取り当村(釈迦塚)へ住居を立て移り住み、一組25人の家来はそまま扶持しておきましたこと、その頃片岡新左衛門様・山庄小左衛門様が郡にて新田開発のことについて、毎年中之島へおこしになられた際、村々開作のお世話をし、ご奉公申し上げましたこと
読み方

寛永十三ひのえねのとし釈迦塚新田あいたてかいはついたしそうろうにつき、きゅうしんのうちひとくみ弐拾五人のものひゃくしょうにしすへ、そのみぎりかみやしきひきとり とうそんにすまいつかまつりそうらえば、ひとくみ弐拾五人のけらいそのままふちいたしおきそうろう、そのころ片岡新左衛門様山庄小左衛門様おごおりにてかいさくのことにつきねんねん中之島へおこしなされそうろうあいだ、むらむらかいはつのせわつかまつりごほうこうもうしあげおりそうろうおんこと

解説(淡路久雄)

変体かな難読句
変体かな 毛(も) 能(の)
歴史 片岡、山庄は郡奉行職にあった人