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浅野家由緒書(写)  NO_9
浅野次五右衛門書(延宝二(1674)年八月)
楷書化

一、 同年坂井の館引払候砌猶中之島
大面の為御備同所上屋敷と申に不目立様
住居可罷在旨蒙
御意寛永十三丙子年と拾九年の間
荒田開作分給地に被下、同所にて右五拾人
の者致扶持置候御事
意味

一、 同年坂井の館を引払うことになったとき、なお中之島大面の警備のため同所を上屋敷とし、目立たぬよう住居を構えているよう指示があり、寛永十三(1636)年まで19年間荒地開作分の土地を給わり、同所にて右50人の者を扶持していましたこと
読み方

どうねん坂井のやかたひきはらいそうろうみぎり、なお中之島大面のおんそなえとしてどうしょかみやしきともうすにめだたぬようすまいまかりあるべくむね ぎょいこうむり、寛永十三ひのえねのとしと拾九ねんのあいだあらたかいさくぶんきゅうちにくだされ、どうしょにてみぎ五拾人の者ふちいたしおきそうろうおんこと
解説(淡路久雄)
難読句
 為御備 おんそなえとして
 可罷在 まかりあるべく
 蒙御意 ぎょいこうむり
追加解説(管理人)
給地 戸時代、大名領主から知行を分給された家臣が、その土地、人民を一円支配すること。また、その土地。