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淺野家由緒書(写)  NO_4
淺野次五右衛門書(延宝二(1674)年八月)
楷書化

一、 同年六月正八郎父寺本内膳正直壽
    権現様へ御奉公仕居候処、於関東五十
八歳にして病死仕候節、母儀は同姓内蔵允
方へ引取、淺野之家育介に罷越候に付、
母を不忘様遺言有之、其頃より母方之苗
字淺野に相成候御事
意味

一、 同年6月に正八郎の父、寺本内膳正直壽は
    権現(徳川家康)様へお使えしておりましたが、関東で五十八
歳で病死してしまったときに、母は同姓の内蔵允
方へ引取り、淺野の家で余生をおくることになり
母をわすれないようにとの遺言があり、其頃より母方の苗字
の淺野になりましたこと
読み方

一.どうねん六月ちち寺本内膳正直寿、権現様へごほうこうつかまつりおりそうろうところ、関東において五十八さいにてびょうしつかまつりそうろうせつ、ははぎはっどうせい内蔵允かた・ とり、淺野のいえへいくかいにまかりこしそうろうにつき、ははをわすれぬようゆいごんこれありそのころよりははかたのみょうじ淺野にあいなりそうろうおんこと
解説(2001/11/22:淡路久雄)

本文に使われている変体かなと訳すべきですが現行のかなずかいではえととに使い分けが必要です
変体かな  而(て)  二(に)  者(は)  之(の)但し之は(し)と読む場合もあります