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淺野家由緒書(写)  NO_3
淺野次五右衛門書(延宝二(1674)年八月)
楷書化

一、  慶長三戊戌年加州より
御当城へ  御入部の砌御供仕
同五庚子三月越後国不穏候間御
領内中之島郷は新発田城より程遠要害の
地に付大新田さかいへ隠密に罷出の御
もくろみ有之同年六月正八郎儀手
の者召連為押同所へ出張被
仰付候処会津にて上杉景勝謀叛により
越後残居候浪人並百姓共相催にて
同年七月下旬より国中一揆致蜂起候に付
大面中之島の百姓共より人質為差出手配
堅固に申付置右注進のため大津
勝右衛門河村勘兵衛など追々しはた
差上同八月一揆共三条の城巻責候に付
御太祖様後詰被遊候砌正八郎儀
馳加り大崎並一ノ木戸にて相働き候御事
意味

一、 慶長三(1598)年加州(加賀國)より  
当城(新発田)へ  お入りになられる時、
お供し、同五(1600)年三月越後國が不穏な状態であるあいだ、
御領内の中之島郷は新発田城より然程遠く要害の地であり、
大新田の坂井へ隠密りにまかり出て
前線を守るというもくろみがあって、同年六月正八郎は
手の者を召し連れ同所を押さえるために出張しましたこと。
会津では上杉景勝が謀叛により
越後にのこっている候浪人や百姓などがあつまり
同年七月下旬より国中で一揆が蜂起しましたので、
大面中ノ島の百姓たちより人質さしださせ手配を
堅固にするように申し付けておいたので、事態を知らせるために
大津勝右衛門川村勘勘兵衛等をおいおいしばたへ
しらさせ八月には一揆は三条の城巻き責めまでになったので
御太祖様の後詰を仰せられたときに正八郎は
(戦いに)かけくわわり大崎や一ノ木戸で働ましたこと
読み方

一、慶長三つちのえいぬのとし、加州より ごとうじょうへごにゅうぶのみぎりおともつかまつり どう五かのえねのとし、三月越後の国ふおんそうろうあいだ、 ごりょうない中之島郷はしばたじょうよりほどとおくようがいの ちにつき、大新田さかいへおんみつにまかりで おもくろみこれあり、どうねん六月正八郎ぎて のものめしつれ、おさえとしてどうしょへでばり おおせつけられそうろうところ、会津にて上杉景勝ぼうはんにより、 越後にのこりおりそうろうろうにんならびにひゃくしょうどもあいもよおしにて、 どうねん七月げじゅんよりくにじゅういっきほうきいたしそうろうにつき 大面中之島のひゃくしょうどもよりひとじちさしださせ、てくばり けんごにもうしつけおき、みぎちゅうしんのため大津勝右衛門、河村勘兵衛など、おいおいしばたへさしあげ どう八月いっきども三條のしろまきせめそうろうにつき 御太祖さまごづめあそばされそうろうみぎり正八郎ぎ はせくわわり、大崎ならびに一ノ木戸にてあいはたらきそうろうおんこと。
解説(2001/11/22:淡路久雄)
異体字  加州より、百姓共よりが多く使われている
変体かな  免(め)  志(し)  多(た)など
難読句  有之=これあり  被仰付=おおせつけられ
          為差出=さしださせ  被遊=あそばされ
解説  この一件は関が原の役に先だって、会津の上杉景勝が旧領越後の回復を図って、越後に残した旧臣や百姓たちをかたらって一揆を起こさせたもので、春日山堀氏の与力大名とし・ ヲ羂貅口家の立場から三條城(堀氏)の救援に向かったことをさす。
大新田さかい(見附市坂井町)
本文に使われている変体かなと訳すべきですが現行のかなずかいではえととに使い分けが必要です
変体かな  而(て)  二(に)  者(は)  之(の)但し之は(し)と読む場合もあります
追加解説(管理人)
要害  地勢がけわしく、守りやすく攻めにくい所。防御のための設備をすること。とりで。要塞。また、その防備。
入部(にゅうぶ)  領内にはいること。特に、国司や領主などが、はじめて任国や領地にはいること。入国。入府。
注進  事件の内容を書き記して急ぎ上申すること。また、事件を急いで報告すること。