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淺野家由緒書(写)  NO_2
淺野次五右衛門書(延宝二(1674)年八月)
楷書化

一、 天正十一癸未年
御太祖様(溝口秀勝公)越前國敦賀等へ御働之砌
御先手被  仰付、同年四月四万四千石にて
加賀國大聖寺城へ    御打入之節、
御供仕能美郡之内に給知被下置、同十五
丁亥年九州へ御出勢始追々  
御陣に奉従御合戦の度毎召連候
譜代の者も相励忠節仕御事
意味

一、 天正十一(1583)癸未年    御太祖様(溝口秀勝公)が越前國敦賀等の戦に出られたとき、
先駆けをするようおっしゃられましたこと。同年四月四万四千石にて
加賀國大聖寺城へ  お入りになられたとき、
お供し能美郡の内に土地を下されたこと。同十五(1587)
丁亥年の九州出兵をはじめとして何度も陣に
譜代の者と加わりに御太祖様のために働きましたこと
読み方

一  天正11年みずのとみのとし。
ごたいそ様えちぜんのくにつるがなどへおはたらきのみぎり
おせんて  おおせつけられ、どうねん4月4万4千石にて
かがのくに大聖寺城へ  おうちいりののせつ
おともつかまつりのうびぐんのうちにてきゅうちくだされおく同十五
ひのといのとしきゅうしゅうへごしゅっせいはじめおいおい
ごじんにしたがいたてまつり、ごがっせんのたびごとめしつれそうろう
ふだいのものもあいはげみちゅうせつつかまつりそうろうこと
解説(2001/11/22:淡路久雄)
御太祖様  ここからは初代藩主溝口秀勝公のこと
大聖寺  現在は加賀市(石川県)となっている
九州へ  秀吉による島津征伐
異体文字 標準の字体の他に当時普通に使われていた文字で、現在は使われていない文字。古文書には数多く登場します。敦賀ナドの等がその例です。
由緒書  藩では数十年に一回、村・町役人などにその家の由緒書の提出を命じました、そのうちの一通(写)です。