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10代浅野吉郎右衛門の写真。幕末にオランダ医術を学ぶために長崎まででかけた十代の唯一の写真です。右のラベルはそのネガの入っていたケースのラベルである。写真撮影の年月日は特定できていない。現存するネガは再生されたもので、品質はとても悪いので、写真をスキャナーで取得した。釈迦塚や浅野家で残っているもっとも古い写真である。十代は帰郷の後医者として開業する。 |
押し入れや天袋等を探すとビックリするような物に出くわすことがある、お爺さんの勲章だったり、杯だったり、母の嫁入り道具だったり、それをしまい込む時の古新聞紙だったりします。タマタマ仏壇の整理をしていたらキャビネサイズの「浅野家の写真」が出てまいりました。母はそこにあるのを知っていましたが私は知りませんでした。かなり傷んではいましたが、デジタル処理をしてみました。現存する釈迦塚の浅野家の唯一の写真です。(明治42,43年と推測される) |
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昭和7年5月15日に釈迦堂では門を建立いたしました。その時の記念写真です。十三代浅野虎三郎と十三代弟の応吉郎長男耳鼻科医浅野博が真中で周囲を小学生くらいの村民が数多く映っている写真(ですから存命の方もいらっしゃるでしょう)と、浅野一族の記念写真、絵葉書になった釈迦堂の写真を掲載してあります。 |
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昭和39年6月釈迦堂は修復をすることとなりました。その前年はサンパチ(38)豪雪として歴史的な豪雪が中越いったいを襲いました。まだ、地下水での消雪設備や道路の舗装もされていない時代のことですので、38年当時は5月の中くらいまでの雪が釈迦堂周辺にはあったと思われます。老朽化していた釈迦堂がこの豪雪で破損がひどくその翌年の修復改築となったと思われます。写真で2人でうつっているのが、釈迦堂の前に住居をかまえる武田(紋付)さんと十三代虎三郎妹チトセの息子で当時三条で産婦人科を開業していた竹村日出男であり、もう一枚の写真で、前列中の和服の女性が「浅野家の写真」で玄関の中に居る4,5歳の娘であった「カツ」さんです。 |
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石田日出夫さんの所有の写真2点(左の写真は旧石田家の写真で家族全員の記念写真。次が旧坂井小学校の完成記念写真です。)と釈迦塚集会所に展示されている十三代浅野虎三郎を中心に村民が集合している記念写真。村民の古写真は要請があり次第デジタル化いたしますし、了解が取れるなら公開を予定しております。詳細な情報が石田氏よりいただけるなら2枚の写真についてもデータとしてHTML化してまいります。 |
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御開帳は7年ごとにあるのだが、それ以外の8月17日は古文書を中心とした釈迦塚文化財の虫干しを行う。村民の代表者とそれ以外ではここ5.6年は間島先生がこられている。そして、2001年の8月17日には私もはじめて参加させていただいた。 |
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