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映像資料集
釈迦塚に関連のある出来事や公演などを収録(ファイルは巨大です)

淺原雄吉氏の講演
真島秀行氏の講演
釈迦塚ご開帳法事
京都深草〜大雲寺まで
大雲寺の境内
原光司ご住職との話
私のビデオカメラ暦は比較的古1984年からです。しかし、1992年の釈迦塚の御開帳にはビデオカメラはおろかスチールのカメラすらもっていってはおりません。つまり、私としてはその時点までは釈迦塚の歴史についてはあまり興味が無かったわけです。ただ、個人的には1992年の参加は大変意義深いものでした。集会場でいろいろな歴史文化財を見るのも別に初めてでもなかったのでしたが、新発田の「大竹与茂七を偲ぶ会」のメンバーとの接触が浅野家と釈迦塚の歴史に興味を持たせる一因となりました。七年後までに少しずつ入手できた資料に目をとおしておきました。また、VTRで収録をしておこうと思っておりました。そして1999年は画期的な年となりました。一つは浅原氏の研究でした。九代の浅野儀衛門が、あの世界的に有名は喜多川歌麿と交流があり、歌麿は釈迦塚まできたという事実についての講演は驚嘆のかぎりでした。さらに、お茶の水女子大の真島秀行教授の講演は歴代の浅野家の誰もが聞いていて探しもいたした伝説化されていた寺本忠吉(初代浅野政久の兄)の墓を京都伏見深草大雲寺で発見されたことです。それらについて今後はできるだけビデオに収録していきたいと思い、幾つかも出来事を収録いたしました。
(注意)ビデオによる映像を編集しmpeg化してありますが、いずれの映像もおおきいので、約18MBくらいの単位で分割してあります。従いまして、ADSLなどのブロードバンドに対応していない通信環境ではダウンロードに多大な時間がかかり、見ることは事実上不可能であろうと思われます。
淺原雄吉氏の講演(歌麿と越天庵
1999年8月17日に行われた釈迦塚御開帳のなおらいで浅原勇吉氏が喜多川歌麿と九代浅野儀右衛門こと越天庵との交流を発見するに至った氏の探索を圧倒的な知識と情熱で語られた。氏の隣には氏の奥様そして私の娘そして私という順に座っていたので、最初から最後までをビデオに収録することができた。映像ファイルですのでとても大きいわけです。したがって氏の講演の部分は8つのファイルで展開してあります。(七部の構成)
真島秀行氏の講演(寺本氏と五輪塔)
こちらも1999年8月17日の講演ですが、席が離れていたことと、ビデオの準備に間に合わずに僅か2分くらいの収録です。真島教授の御先祖は釈迦塚の真島氏です。教授がいかにして釈迦塚と縁をもたれたか、そして、大五輪塔を発見するに至ったかを講演していただきました。教授は2001年もふくめ6年にわたり8月17日は釈迦塚に調査研究のためまいられております。これらについての更なる研究の成果は「釈迦塚の祖先捜しから寺本家家筋まで(平成13(2001)年8月19日)」というかたちで当ホームページでも発表されております。(二部の構成)
釈迦塚ご開帳法事
1999年8月17日釈迦塚御開帳の先祖供養の法要の様子を短い時間では有りますが釈迦堂の内部の様子として録画いたしました。(一部の構成)
京都深草から大雲寺まで
2001年に私は京都に4回行くことができました。そのうちの三回は深草の大運寺にまいりました。最初の大雲寺にまいりました時の京阪深草駅から大運寺までの徒歩での娘と二人道すがらを録画したものです。(四部の構成)
大雲寺の境内
原光司ご住職に案内されて大雲寺の境内を回った様子を録画いたしました。渡り廊下をとおり広間へ、広間の障子戸をあけると、の小さな墓が、その墓も大五輪塔同様に原氏が毎日御供養されているとこのと。されに二畳の小間の茶室へ。そして庭に出て、渡り廊下の下をくぐり、五輪塔の後をとおりぬけ、四畳半の下座床の茶室へとまいりました。それらを録画してあります。(六部の構成)
原光司ご住職との話
大雲寺と寺本家また浅野家について大雲寺にのこされた「寺本氏略譜」と私のコンピュータに整理されている写真を含む文献資料とを付け合せながら、語り合っています。録画をしてあるのですが、画像的には動きがなく、録音で映像が無くともよかったかとも思います。原氏の「リン」とした修行に裏打ちされた声がとてもはっきりと聞き取れます。(十部の構成)