この古文書入門講座の特徴
古文書の解読を始めてなんと半年にも満たない私の説明ですからこそ、初心者にはわかりやすいのではないかと大それて厚顔無恥な考えのもとで作成いたします。今年の6月以前には全く古文書を見たこともなかった私ですから、仕方ありませんが、以下のコンセプトで作成いたしました。
| (1)色々なインターネット上のホームページの古文書の画像をみていて、感じますのが、その古文書それ自身の画像処理技術の未熟さです。少なくとも、印刷して、すっきりわかるような画像処理技術で納得できるものを作りたかったのです。 |
| (2)私の本業はコンピュータのプログラム作成やシステム作りです。その意味で古文書は超初心者でも画像処理技術はソコソコと思っています。つまり内容よりそれ以外の技術でチャレンジしているということしか言えません。 |
| (3)このホームページに引用した古文書は少なくとも多くのインターネット古文書入門講座で取り上げている同じお家流の古文書より、はるかに文字それ自身が優秀だとおもえます。つまり、御手本のような書体です。その意味で先祖に感謝いたしております。 |
| (4)本ホームページの「古文書を読んでみよう」と「古文書講座基礎編」は私自身は納得しております。[古文書講座基礎編]は多分経験者にとっては、「こんな事は常識じゃないか!」とおもわれるかもしれませんが、これが超初心者にとっては解らない事だし、知りたい事なのであろうと思います。 |
|
基礎古文書入門(由緒書を読むための基礎知識)
実践で古文書にあたる前の基礎知識を超初心者の私が故に悩んだ事を中心にコメントを作成しました。
|
(1)古文書を読んでみよう
|
かな文学(狂歌短冊)九代目当主儀右衛門と喜多川歌麿
| 寛政末から文化初年、すなわち歌麿が存命当時、越天庵は第七代当主儀右衛門の三男、名を光政と称した。のちに長男である治五右衛門(第八代)の早世に伴い、文化七年以降九代目当主となり、儀右衛門を襲名した。歌麿訪問当時はまだ弱年であったが、すでにそれ以前から越天庵号を用いでおり、何がしかの天分を発揮していたと考えられる。越天庵が残した狂歌関係資料は四百点余に及ぶ、万延二年(一八六〇)八十一歳で没した彼の人生のおよそ六十年にわたる狂歌の足跡を表すもので、その中心は所属の長岡連と越天庵白身によって詠まれたものによって構成されている。また、これらの中に彼が入門を果たした鹿津部真顔とその同門狂歌師らとの交流を示す短冊、色紙、摺物類および新たな歌麿の狂歌短冊一枚が含まれる。 |
|
|