伏見深草大雲寺(宝塔寺西之大坊)の紹介
大雲寺茶室の紹介(『宝珠庵』『黙庵』)
大雲寺の小冊子より 経を欠かさず続けられ再興を祈願される。一大事因縁のおうところ太閤秀吉の
臣伏見普請奉行平野権兵衛の絶大なる外護を賜り方広寺大仏殿の廃材、今より六百年巳前の材木にてこの地に一小宇を建立。これが当山の濫觴となる。四十有余年の歳月を擁して本寺の諸
伽藍を造営し輸奐具備するに至って本寺へ移り住された。依って銀師の家兄松井藤介祝髪して友千と號し、当山を「西之大坊」と称して残しその職を継ぐに至る。銀師の弟子日随又香華を
ぐ。しばらくして随師は境内地の一角(今の直勝寺)に隠棲、弟子の日騰又その職を稟く。当山の寺号は騰師の院号に由来する。爾来四百有余年法灯連綿として今日に至る。近年日蓮大聖人
百遠忌.日像菩薩六百五十遠忌を記念して堂内外の諸整備を完了して寺観を一新、先師への報恩に貸す。★庭の中に茶室『宝珠庵』『黙庵』を造営して、地域文化発展に
与せんとす。 |
JR稲荷駅はJR京都駅からJR奈良線で2つ目で、駅の前が伏見稲荷です。そこから、徒歩で約4分で京阪の深草駅となります。
阪深草駅の駅前には喫茶「いのき」があります。そこから、徒歩約10分で左の写真の宝塔寺の前にまいります。京都に行くと特に感動するのは、観光案内の掲示板がいたるところに景観
害さないようにでていて、目的地に行くのに何ら迷いが生じないことである。もちろんこの大雲寺に行くことに対してもその例外ではない。深草の駅からは宝塔寺の案内板が出ているし、
の通り、道なりに行けば随所にさらなる案内板が出ている。大雲寺は宝塔寺の境内にあるのだから、宝塔寺を探すことが必須なわけだ。 |
![]() 宝塔寺の門をくぐって最初の左側にあるのが、大雲寺です。この写真の場所は最初の絵の表門にあたります。 |
大雲寺は御門から本道に続く小道が住職自らの手によりきれいに刈り込みされた生垣をとおります。特筆すべきは大雲寺のいずれ
も計算外の事物を発見することが難しいということです。ご住職の後について歩くとわかることですが、10mも歩かれるうちに必ず地面や床から何かを拾われます。ここは最初の大雲寺境内
の七面宮にあたります。 |
![]() 障子戸をあけて大雲寺本堂からの中庭の展望です。中央に巨大な大五輪塔が立
ています。ここは最初の大雲寺境内図の本堂内部にあたります。 |
寺本氏の大五輪塔の後ろには宝塔寺の20mにもなる孟宗の竹林がせまってまいります。大雲寺本堂からの眺めです。そして、この3m近い大五輪
の真島秀行氏の発見(浅野家一族にとっての)がこのホームページを作らせた要素の一つともなったのです。その他、このホームページでは、越後の釈迦塚の人々や絵天庵こと九代浅野儀
衛門と歌麿や鹿津部真顔らとの狂歌を中心とした文化財、与茂七騒動の釈迦塚名主の倅こと浅野久之助の謎等がまた要素であります。さらに、13代以後の明治から現在までの浅野家や、
迦塚の祭りを構成する人々も重要な要素なのです。しかし、浅野以前が寺本であったことは知っておりましたが、13代以降の一族の何人かは寺本の手がかりを探しに京都極楽寺周辺を探
たのですが、発見できないで降りました。その意味で真島秀行氏の貢献は絶大なものなのです。私にとりましても大五輪塔を見たときの感激は筆舌に尽くしがたいものでした。ここは最初
大雲寺境内図の五輪塔にあたります。 |
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奥様お手製のうどんをご馳走になりました。私の正面には写真のように、京すだれ越しに渡り廊下を正面にして大雲寺の庭が見え
のですが、この眺めばまた絶景です。思えば、大雲寺さまのお庭はどの角度からもあくまでも完全に計算され尽くした美しさがあります。私は、「うどん」を入れた鉢を横に置いて、その
にはしを縦にして、撮影してみました。私がお邪魔する日は小雨が降るのが常套となっているようです。雨はしばしば、神社仏閣の撮影には最高のライティングをあたえます。ここは最初
大雲寺境内図の書院にあたります。 |
大雲寺の原光司お上人さまです。パワフルでこの大雲寺の境内の一切の設計に携わっておられます。現在、日蓮宗大本山妙顕寺の
祖立教開宗七百五十年奉行会の事務局長もなさっておられます。原お上人と私との2001年1月の『寺本氏略譜』の話は映像と音声で師のバイタリティを感ずる
とが出来るでしょう。(注)映像ファイルは巨大ですので、ADSL以上でないと無理です。 (2001/11/17 浅野和夫) |