8月17日は例年どおり釈迦塚の古文書などの歴史資料の虫干しに参加することができました。参加者は昨年と同じメンバーでした。昨年と同じように新たな世代の登場を待望することがありました。釈迦塚の文化遺産は歴史的にこの近郷では稀に体系的に揃っています。ただし、やはり、継承するのは大変な作業で、その内に灰塵に帰すかもしれません。私は「陳腐化にどう対応するか」で述べましたように、ハード的な歴史資料の陳腐化にたいしてはデジタル化
で対応できると信じております。しかし、この釈迦塚でもありますように、文化遺産保護の継承は行政だけの仕事ではありえません。その継承は現実的には地域の努力によるところが大であろうと思います。もし、その継承が途絶えましたら、文化遺産はデジタル化する以前に簡単に灰塵に帰してしまいます。ですから、釈迦塚であろうと他の地域であろうと、文化伝承は継続ですから、その継続が断絶の危機にあるのなら、せめてデジタル保存をすべきでしょう。図書館や文書館などでおこなわれているマイクロフィルム化は精々五十年〜百年の資料保存でしかありません。マイクロフィルムのフィルムコピーはアナログの限界でオリジナルよりデータは劣化致します。コピーがオリジナルと全く変わらないデジタル処理で保存をするべきでしょう。釈迦塚の文献につきましても、デジタル化は重大な関心事です。
夜には石田さんのお宅で「義民与茂七j実伝」の明治33年の本を見させていただきました。1992年に新発田の「大竹与茂七を偲ぶ会」が復刊したものの原書で実在するものを始めて拝見いたしまして、感動しました。もう新発田には「大竹与茂七を偲ぶ会」はなくなったのでしょうね、連絡をしたのですが、つながりませんでした。
真島先生は1996年以来毎年参加されております。当日も東京から、朝一番の新幹線で、また帰りは最終新幹線でのスケジュールでした。また、先生は今年の9月1日より、イギリス、フランス、ドイツとまわられ、来年の3月末まで外国に滞在とのことでした。今後の連絡はメールが中心になろうかと思います。各国で短期集中セミナーでもされるのでしょうか?お帰りにはまたビッグになられていることでしょう。期待致しております。
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での動画(ナオライでの一こま映像 記念写真の映像)
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| 公会堂での古文書虫干しのひとこま | 釈迦堂の内部のチェック、1998年度には喜多川歌麿が越天庵にもってきた太田蜀山人の位牌が発見された。 |
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| 明治三十一年(1898)に建てられた三百年記念祭の碑に続いて一年遅れで建てられた開村四百年記念の碑 | 四百年碑の裏に彫られた村民氏名 |
石田氏宅では幾つかの貴重な歴史分化遺産を見せていただきました。その中には「戊辰戦争」当時の鉄砲の実弾(鉛弾で白く酸化しているもの)や縄文土器の破片、また九世紀から十世紀に書けての素焼きの器、また、石田亭を建てたときに越天庵がそれを祝って寄贈した掛け軸など沢山ありました。それらは、九月中に発表させていただきますように準備を致します。また、冒頭で述べた石田氏から見せていただいた「義民与茂七実伝」の表紙と本文前書きの部分の写真を下に掲載させていただきます。
| 「義民与茂七実伝」の明治三十三年の原本(石田氏所蔵:2002年8月17日撮影) | |||
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五十志霊神を祭ってあるお堂の挿絵があります。 その挿絵をクリックしますと、現在の新発田市の諏訪神社の中にある五十志霊神の写真がポップアップします。 |
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