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歴史資料

あさの‐ながまさ【浅野長政】
安土桃山時代の武将。尾張の人。初め織田信長に仕え、のち 豊臣秀吉の五奉行の首座、文禄の役に軍監。関ヶ原の戦に徳川秀忠に従い西上。(1547 1611) 
まつなが‐ひさひで【松永久秀】
室町末期の武将。三好長慶の家臣。弾正少弼。大和の信貴山 ()に城を築き、主家を 滅ぼし、足利義輝を自殺させた。織田信長入京の際降伏したが、のち叛いて敗死。(1510 1577)
みよし‐ながよし【三好長慶】
戦国時代の武将。管領細川晴元の臣。一五四九年(天文一八) 晴元らと戦って勝ち、五二 年入京、将軍足利義輝をいただいて権勢をふるった。晩年はその臣松永久秀に圧倒され た。 (1522 1564)
こうずけ【上野】
(カミツケノ(上毛野)の略カミツケの転) 旧国。いまの群馬 県。上州
しもつけ【下野】
(シモツケノ(下毛野)の略)旧国名。今の栃木県。野州(ヤシュウ)
だんじょう‐だい【弾正台】
律令制で、京内の非違を糺弾し、官人の綱紀粛正をつかさどる役所。親王および左右大臣以下の朝臣の非違をも、太政官を経ず、直ちに奏聞する権力を有した。尹・弼・忠・疏の四等官と巡察弾正とがある。九世紀初頭、検非違使の。ただすつかさ。
ひょうご‐りょう【兵庫寮】
古代、兵庫の兵器および儀仗の出納・修理・検閲をつかさどった役所。はじめ律令制では左右兵庫・内兵庫があり、八九六年(寛平八)造兵司(ツワモノツクリノツカサ)・鼓吹司(クスイシ)と合併して創設
ないぜん‐し【内膳司】
律令制で、宮内省に属し、天皇の食事の調理・試食をつかさ どった役所。長官は二人で奉膳(ブウゼン)といい、高橋・安曇 (アズミ)両氏の者が任ぜられ、他氏が長官の場合は内膳正(ナイゼンノカミ・ナイゼンノショウ)を称した。その下に典膳・膳部などがいる。うちのかしわでのつかさ正位階を正・従に分ち、従の上の階級。「—三位」諸司の長官。
ひょうえ‐ふ【兵衛府】
律令制で、兵衛の管理、天皇・内裏諸門の警固、朝儀の儀仗、 行幸の供奉、左右両京内の巡検などをつかさどった役所。左兵衛府・右兵衛府に分れ、職員に督(カミ)・佐(スケ)・ 尉(ジョウ )・志(サカン)その他がある。五衛府のち六衛府の一。唐名、武衛。つわものとねりのつかさ
だいしょうじ【大聖寺】
石川県加賀市の中心街。古く白山五院の一である大聖寺の門前町として発達し、のち、加賀藩の支藩前田氏の城下町となった。陶器・絹織物などを産する
いみ‐な【諱】(「忌み名」の意)                                 死後にいう生前死後にいう生前の実名。三蔵法師伝延久承暦頃点「法師、諱は玄奘」後に、貴人の実名を敬っていう。太平記一三「忝くも天子の御—の字を下されて」死後に尊んでつけた称号。諡(オクリナ)。「のちのいみな」とも。藤原不比等を淡海公、 同忠平を貞信公と呼ぶ類。
か‐かん【加冠】
元服して、初めて冠をつけること。また、その儀式。元服の人に冠をかぶらせる役の人。ひきいれ。
かい‐き【開基】
物事のもといを開くこと。平家五「朝廷—の後、数千余歳の あひだ」 寺院また宗派を創立すること。また、その僧。開山。開祖。寺院創建の際、経済面を負担する世俗の信者。この意味では開山と対になる。            

十干・十二支・六十干支とは


室町幕府(将軍一覧)
代数 氏  名 在職期間 没年
1 足利尊氏 足利貞氏 上杉頼重娘清子 1338〜1358 1358
2 足利義詮 足利尊氏 北条(赤橋)久時娘登子 1358〜1367 1367
3 足利義満 足利義詮 善法寺通清娘紀良子 1368〜1394 1408
4 足利義持 足利義満 安芸法眼娘藤原慶子 1394〜1423 1428
5 足利義量 足利義持 日野資康娘栄子 1423〜1425 1425
6 足利義教 足利義満 安芸法眼娘藤原慶子 1429〜1441 1441
7 足利義勝 足利義教 日野重光娘重子 1442〜1443 1443
8 足利義政 足利義教 日野重光娘重子 1449〜1473 1490
9
足利義尚 足利義政 日野重政娘富子 1473〜1489 1489
10 足利義稙 足利義視 日野重政娘(富子妹) 1490〜1493




1508〜1521 1523
11 足利義澄 足利政知 武者小路隆光娘 1494〜1508 1511
12 足利義晴 足利義澄 阿与 1521〜1546 1550
13 足利義輝 足利義晴 近衛尚通娘 1546〜1565 1565
14 足利義栄 足利義維 大内介娘 1568 1568
15 足利義昭 足利義晴 近衛尚通娘 1568〜1573 1597