What's New(Kazuo Asano)

2002

19/08/2002
In August 17, I was able to participate in the meeting of airing of history data, such as ancient documents of Syakazuka, as the ordinary year. The participants were the same member as last year. This neighboring country has had historically complete set of cultural heritage of Syakazukaso systematically that it is rare.However, serious work inherits a specialization inheritance too.A cultural heritage will become garbage if there is not a successor of cultural heritage protection. I believe that I can respond by digitization to obsoleting of material history data if, as before stated by "how it corresponds to obsoleting." However, succession of cultural heritage protection is not work of only administration at this Syakazuka. The succession that it is realistic with the place depended on efforts of an area being size. If the succession stops, a cultural heritage will obsolete more simply than the logic of digitization.Professor Majima has participated in this meeting every year since 1996. From Tokyo, He arrived with the morning earliest thing Shinkansen, and return to Tokyo with the last Shinkansen also on the day. From September 1, Professor Majima goes with Britain, France, and Germany, and he will came back at the end of next March,From now on, the connection with Professor Majima will think that E-Mail takes the lead. I think that Professor Majima is held by me in a short-term concentration seminar in each country. I expect his activity overseas.

01/06/2002
The World Cup of Japan-South Korea cooperation was held in South Korea yesterday. There was an upset that France was defeated in Senegal, in the game just behind the opening ceremony in South Korea. Fighting "Ireland pair Cameroon" used as the first game in Japan is kicked off from today's 3:00 p.m. in the Niigata stadium. In fact, my place of work is in the about 1km short distance from this stadium, and although it operated 45km and arrived to the place of work, when passing through the stadium front at AM 7:00, the early supporter of mind had already arrived. The daytime and night time of the Niigata stadium's photographs.

25/06/2002
I visited to USA from May 5 to May 13.After came back to Japan I started asthma and two days gave an intravenous drip injection.In the U.S., amusement did not occur only at inspection and the lecture of a distribution industry.I was impressed by the rightness of the company posture of a wine brewery and the prejudice which are called the OpusOne of California.
Now , I am trying to write English Page.And It is too hard work for me to introduce "History of Syakauka". So I trancelate my own pages first. Same time , I am dealing with translation of the paper called Mr. Asahara's "investigation report about Utamaro and Echigo" now.Although a problem can be made for there so to be nothing since there is a partner if it is English conversation, if it becomes a text, since he forgets most grammars, it is the work most difficult to me.Since Mr. Asahara's paper needs the deep knowledge about Japanese specialization of the Edo period, it is clear so that itself may be unable to translate into English, and I have the scene which considers. Since Mr. Asahara's paper needs the deep knowledge about Japanese specialization of the Edo period, it is clear so that itself may be unable to translate into English, and I have the scene which considers.

2002/03/06
淡路久雄氏の「釈迦塚町歴史略年表」を掲載しました。とりあえず「トピック」のトップにリンクが張られています。近日中に淡路氏のページに挿入いたします。
ここ2日間モーフィングにはまっています。十代の写真を含め世代の違う五人の写真をモーフィングで映像化してみました。3人は明治以前の生れで後は明治と昭和の生まれが一人ずつです。ご覧下さい。(56Kのモデム)(100KのxDSL
勿論、MediaPlayerの7が必要です。映像コンテンツの所でダウンロードできます。

2002/03/05
またBackUpサーバーでの運用です。現在、防火壁とsshの点検をしています。本日、淡路さんから、釈迦塚歴史年表が届きました。私も、寺本の時代の年表を作成していましたので、まず、淡路さんの方からページに乗せていきたいと思います。どうも、sshでのemacs操作がうまく出来ませんので、文字の修正がままなりません。家に帰ったら細かく修正いたします。また、現在、三代の由緒書にでてくる譜代の村民の訴訟の文面の翻訳をしております。これらは既に淡路さんにより翻訳されていますが、個人的な勉強としての作業です。これにつきましても古文書入門で取り上げたいと思います。

2002/02/25
本日定期WebサーバーのメンテナンスのためBackUP用のサーバーで運用していますので掲示板はつかえません。

2002/02/23
映像資料をMediaPlayer用にMPEGファイルを変換し、56Kと300Kでの配信をするようにしました。近々いま一つ、2001年11月に大雲寺に伺ったときに撮影した「大運寺と茶室」についても配信をする予定でおります。会社でも我が家のWebサーバー同様にFireWallをやっと構築し、イントラネットの実験運用を本日より開始しました。昨夜は約1時間の睡眠でしたので、今はとても眠いので、この辺で終了します。

2002/02/17
やっとバレンタインの馬鹿騒ぎが終了して(と、云う自分が情けない?)、世間も落ち着きを取り戻しつつあります。まだまだ、高校や大学の受験などがあり,せわしないのですが,不況は私の業界でも深刻です。私の自宅の部屋は三畳しかないのですが、本が足元から天井まで在り、またディスクトップ型のパソコンが三台にノートパソコンが三台も含まれているので脚の踏み場も無い状態です。でも、会社でシステム開発をやるより、断然効率がよいのです。デスクトップは同然自作ですし、ノートもすべて、改造済みです。取りあえず,先日購入したCPUを載せたものはWindows2000を載せてしまいました。ただDDRの512Mのメモリーではこのお化けのようなOSでは完全なパフォーマンスを引き出すには至りません。Noteの2台はWindows98でNoteの一台はFreeBsdです。DeskTopの残りの2台はLinuxです。で、右の写真にDeskTopとノートの各三台づつ、つまり六台のパソコンがあるなんてわからないでしょう。このほかに2台のノートパソコンが別室にありますが、すべてLANで接続されています。この環境でのシステム開発は会社でのそれより、はるかに効率的なので、どうしても2ヵ所で仕事をしてしまう事になります。結果的に働きすぎに成ってしまう。

2002/02/10
TOP−PAGEのデザインを変更してみました。イメージ的には浅野家を考えたのですが、どうでしょうか?
それに淺原雄吉氏のページを更新しました。氏の論文を掲載しました。とても長いので、苦労しました。それに、氏の論文は縦書きのイメージですので、何も考えずに無理やり縦書きにしたものですから、括弧や横棒がめちゃくちゃで見るに絶えません。でも、その内直そうと思っています。取りあえずアップしてあります。近々古文書も掲載します。こちらはすでに出来上がっていますので、4,5日後には掲載の予定です。取りあえずここをクリックしてください。古文書の原文をクリックすると、解説ページにジャンプするように仕掛けました。ご感想がありましたらご連絡下さい。現在この古文書のページはここ以外ではつながっておりません。読まれた方はラッキーです。
最近は何かとてもつまらない事で忙しく、そのくせじっとしていられない性分なので、結構睡眠不測です。映像処理専門のパソコンを改造しました。2年間CPUをアップグレードしないと、やはり見劣りがします。CPUをAthlon700からAthlon1.7G XPにしました。当然Motherは取り替え、またMemoryだって以前はSDIMを1Gもつんでいたのですが,DDRの512Mとなりました。DVD−RAMを追加しました。もともと取り付けてある装置としてはHDDが120G×3とDVD-ROM、CD/RW、Mpeg2ハードウエアエンコーダーのビデオキャプチャーボード、ドルビー5.1サウンドボード、TVキャプチャーなどです。 この本体にイメージスキャナーと液晶ディスプレー、5+1のスピーカー、MOドライブが付属していましたので,それらを全部乗せ変えました。それでもMotherとCPU、Memoryがあまります。使用していないHDDが4個くらい転がっていますので,60GのHDDとして組み合わせて、新たに旧品のみで1台作りました。明日は代休なので、LinuxでFireWallを少しましに作ってみようと思います。ディストリビューションをどこに使用かと迷っています。最初のLinux(7年前)はSlackWareでしたが、そのご、PlamoやVine、MLD4、RedHatなどで運用してきました。現在は赤帽系のLASER5ですが、なんとなくストールマンさんに敬意をはらってDebianのいいなぁと思ったりしています。どうせ、FireWallにするわけですから、ReCompileしなければなりません。だから、どこでも言い訳です。FireWallとWebサーバーを分けてしまうつもりです。(「当然でしょ」って云われりゃ仕方が無い。)。それから、こんなマイナーなサイトはほとんど我々関係者数人を除いて誰も見ていないと思っておりましたが、最近メールが増えてきました。アカウントのLOGを久々チェックしたら、いろんな方面から見にきていられるのにびっくりしました。そう云えば、最近メールの中に2〜3通の広告のバナーを付けてくれないかとの以来もありました。不思議ですね。

2002/01/24
あまり大げさではなく管理者の頁を更新しました。その中でプログラム・ハードボイルドのページを設けました。結構プログラムに自信のある人向けのページで以前管理者がUnderGroundでプログラミングの鉄人的なマニアックなホームページを運営していたことがあるのですが、その時結構アクセスの多かったプログラム問題集です。ただ、釈迦塚歴史考とはあまり関係がないので、アクセスは無いと思いますが、自分自信のプログラミングのスキルアップのためでもありますので,全く自己満足的なものです。

2002/01/21
代休日。昨夜は丑三つ過ぎ(厳密には今朝方)に就寝しました。以前から持っているPanasonicのLet'sNoteCF-S22のハードディスクを増設していろいろな設定を行っていたらそんな時間になってしまった。もともとこのノートパソコンは4.3GのHDDしか持っていなかったのを1999年10月14日に12Gのハードディスクに換装したのでありました。しかし、昨年末に今はメインノートとなっているIBMのThinkPadi1124を40Gにしたので20GのHDDがあまったことで今回決意し、取り替えることにしたのです。当然四年前のノートパソコンなので、Biosに8Gの壁があるが、IBM-DM.exeという「Biosだまし」で20GフラットでCドライブとすることが可能でした。もろもろの設定で三日がかりでの換装しました。とりあえずは娘のノートパソコンにするつもりです。現在娘は往年の名機IBM-TP535を使用しているのですが、これも、かなり苦労したのですが、6Gしか載っていません。最近は窮屈となったので、ちょうどいい機会だとおもいました。535は場合によってはLinuxにしたて、無停電Web兼ルーターにでも仕立てようかと今は思っています。 午後、淡路氏を尋ね釈迦塚に出向く。武田さんも顔をだす。実は寺本家からの古文書の一部の文字の解読ができなかったので、淡路氏の手助けをお願いするためです。古文書解読の半年のキャリアの私ではこのへんが限界であるとおもえたのです。やはり、私がわからなかった大部分の文字については即座に解読していただいた。この古文書は昨年6月に現浅野十五代のお宅で発見されデジタル処理したものを私が持ち帰らせていただいたものです。天保八年は1837年で、少なくともそれ以後に書かれたものであることがはっきりしております。明治まで後30年弱のこの時まで確実に浅野家とつながりが有った証拠の文献です。ともすれば、家系についての文書は後に創作されたものが多いわけで、浅野家のそれも、かくいう私も真島先生の御努力が無ければ眉につばをしながら斜にかまえてみていたと思います。私がこのようにのめりこむ切っ掛けとなった真島先生の寺本忠吉の五輪塔発見は釈迦塚の過去の歴史の中で特筆する出来事であったとかねがね思っておりました。そのことを淡路氏に話したら「私もそう思っていた。せいぜい、坂井砦以後については正しいと思っていたし、それ以前は当てにならないと最初から思っていた。」とのことでした。やはり真島先生は基本的に数学の教授であり、歴史の専門で無かったことと、何よりもご先祖が釈迦塚の出身で有られた事が、浅野以前まで歴史を伸ばすことができたのだと勝手ながら思いました。そして、昨年、十五代が家でこの寺本からの書状を発見されたことで、幕末の、寺本と浅野の関係が明らかになったのです。古文書の初心者にとって本日は冬とは云え収穫大豊作というべきでした。

2002/01/19
実にあっという間に時は流れてしまいます。寺本家が浅野家に当てた寺本家家督相続をしたためた手紙の古文書を解読中です。僅か二枚の短いものですが、書体の癖が多く7割についてはすぐにわかったのですが、残りは一字一字について文書の解説書の見本を総当りで探していきます。それでも、難解なものが多く、四苦八苦の連続です。「金堂霊像略縁記」についての解読はそう難しくなく進んでおりますが、歴史的背景との付け合せを一々やっております。特に、不忠の代名詞ともなっている松永秀久についての興味もあり横道にそれております。そのうち、十五代の許可の基に一部を発表できればと考えております。

2002/01/14
本日は娑婆では成人の日などというものだった。また、例年どおり恒例となった新成人の無礼で無法なしぐさが話題となるであろう。私の時は成人の日を忘れていた。祭日であっても大学にいなければならなかったので帰りに同年代の華やいだ若者をみて、「あっ、俺も成人式だった」と思った。年末に、IBMのThinkPad1124のHDDを流体軸の40Gに交換した目的は「ともかく情報を載せたい。」だった。本日、CD-ROM版「エンカルタ」をHDDにすべて投入した。情報系のデータと開発環境は単にVBとC++Builderだけだ。それで、20Gを超えた。でも、これが幸せ。越天庵の狂歌をよんでいた。結構充実した一日だった。昨夜、カイロ、アメリカ、日本を結んでの若者の同時テロとアフガンについてのディスカッションをNHKでやっていた。大江健三郎がいた。日本人を除いた外人の若者の発言は一部教条的なものが米国至上主義者にいたように思えたが、イスラムの若者の発言にはその懐と情けの深さに感銘した。私の頃、新宿騒乱事件、王子野戦病院反対、ベトナム反戦などが叫ばれていて、中途半端が認められない時代だった。私は20歳の年、大江健三郎や高橋一巳を読んでいた。何かすべて面白くなくて、留年を決意し半年以上に渡り日本を自転車で走り回った。当時は一桁の番号の国道を除いては完全に舗装されていた道路は無かった。もちろん、高速道路もなかった。時には駅で、また、寺院で、ユースホステルで寝ながら、昼は雨でも走った。そして、何となくそんな体験が単純に自身に転化して、勉強に向かわせた、そんな新年開始早々の成人式の日、あまりに自分と関係ない同年代の若者を見て、違和感を感じたのと異質では有るが毎年、この日違和感は増幅する。大声で何かを叫びたいが、気管支があたかも意思あるもののごとくゼイゼイして、妨害する。明日は停電があるため十台以上のサーバーの電源処理の必要がある。そろそろ今日は眠るとする。

2002/01/13
リンクのページを更新しました。新たに「歴史フォーラム」と「江州侍」の両サイトを登録させていただきました。金銅霊像略縁記の研究では三代の由緒書と異なる点が多くあります。また、由緒書の裏付けとなるものや、以前も述べましたように真島氏の仮説が正しかったことを証明する文面もあります。十五代の許可をもらえたら徐々に発表もさせていただきます。

2002/01/12
やあ、新しい年となってしまいました。最近は新年が冥土の旅の一里塚でめでたくもあり、めでたくもなし。という気持ちになる年齢です。今年に入りとりあえず立て続けに悪いこと(よい事なのかもしれない)がありました。私はサラリーマンの傍ら副業で、時間制の小さな有料駐車場を経営していますが、冬の雪対策として、消雪のための井戸があります。その井戸が水をくみ上げれなくなってしまった事。そして、七日に猛吹雪と濃霧のため、車で毎日片道45Kを運転しているのですが、道に迷い倍くらい走り会社に遅刻したこと。信じられないでしょうね、毎日通っている道に迷う何て事が。でもそれが雪国。そして、十日には通勤中にスピンして路肩にはみ出し動けなくなってJAFを呼んだこと。等です。まあ考え方ではそれでも無傷だったので、運がよかったのかもしれません。そして、11日にはだめだと思っていた井戸が職人の手で復活したことです。これはラッキーでした。井戸を新たに掘れば数百万円の出費となるのですから。最近の釈迦塚研究は金銅霊像略縁記の翻訳とその他の資料との比較をやっています。


2001年度の歩み