What's New(浅野和夫)


2001年度の歩み


2001/12/27
今年ももうすぐ終わってしまう。昨日Note用のHDDを購入した。IBMの流体流体軸受けモーターのIC25N040ATCS04 (40G 9.5mm)だ。同じくIBMの20Gからの交換だが2倍の容量と騒音がほとんどないことでストレスを感じさせない。NoteはIBMのThinkPad−i1124の192Mのメモリーだが、ほとんどの作業をこのノートでやっているので、18gくらいは使用してしまっていた。いまどきのコンパイラはVisualStadioなんかフルで4Gはいってしまうし、個人的な全文検索のデータベースはの容量は5Gにたっしてしまっている。それにMS-Officeや画像処理ソフトなどで20GのHDDはもはや限界。そこで、40Gにしたら、もう、最高ってかんじです。それから、本日Webサーバーが一時つかえなかった。理由はADSLのIPが変更されると自動的に http://www7.ocn.ne/jp/~giemon からジャンプさせるアドレスを変更するCronの設定ミスであった。

2001/12/21
十五代の許可のもと略縁起の2ページ分と寺本の跡目相続の伝達の書を御茶ノ水女子大の真島秀行教授に送った。

2001/12/17
十五代より「金銅霊像略縁起」を送っていただいた。これは全部で102ページもある長文の物語仕立ての釈迦塚の釈迦如来像の縁起と浅野家の系図であり、系図部分で見開きで2ページjをデジタル化に失敗していたもので、それを十五代から送っていただき、スキャナーで取り込むために連絡をしていたものである。とくに、取り込み忘れた2ページ分は寺本直壽と大五輪塔を建立した寺本忠吉についてかかれていた部分で重要であった。

2001/12/02
古文書の解読を始めてなんと半年にも満たない私の説明ですからこそ、初心者にはわかりやすいのではないかと大それて厚顔無恥な考えのもとで作成いたします。今年の6月以前には全く古文書を見たこともなかった私ですから、仕方ありませんが、以下のコンセプトで作成いたしました。
(1)色々なインターネット上のホームページの古文書の画像をみていて、がっかりしますのが、その画像処理技術の未熟さです。少なくとも、印刷して、すっきりわかるような画像処理技術で納得できるものを作りたかったのです。
(2)私の本業はコンピュータのプログラム作成やシステム作りです。その意味で古文書は超初心者でも画像処理技術はソコソコと思っています。つまり内容よりそれ以外の技術でチャレンジしているということしか言えません。
(3)このホームページに引用した古文書は少なくとも多くのインターネット古文書入門講座で取り上げている同じお家流の古文書より、はるかに文字それ自身が優秀だとおもえます。つまり、御手本のような書体です。その意味で先祖に感謝いたしております。
(4)本ホームページの「古文書を読んでみよう」と「古文書講座基礎編」は私自身は納得しております。[古文書講座基礎編]は多分経験者にとっては、「こんな事は常識じゃないか!」とおもわれるかもしれませんが、これが超初心者にとっては解らない事だし、知りたい事なのであろうと思います。
私もプログラムを初心者に教えるのがとても下手ですが、この古文書の解読をはじめて超初心者であるうちになんとか古文書講座基礎編を作成しておきたかったのです。もちろん[古文書講座基礎編]はもっともっと続けていくつもりです。なぜなら私が超初心者で知りたいことが沢山あり過ぎるのですし、それを紹介していきたいと思っておりますので。

2001/11/26
天皇.元号.等歴史年表資料に推古天皇以前は神武以来の各天皇元年の干支、推古天皇以後については毎年の元号、天皇名、在位、干支の一覧表を作成した。結構大きいので、ページを表示するのに時間がかかるかもしれませんが、印刷しておくと、西暦と元号と天皇と干支が一覧となっているので、歴史の記述の読み込みが早いと思われます。(最も私がそうだったので必要上作成しました) ちまちまと「古文書を読む」を直しております。先日(2001・11・24)に九代浅野儀右衛門(越天庵)の学問上の師匠である、「積善堂」こと丹羽総助の遺文にかかれてあった市島邸にいってきました。積善堂が書いた時代の建物ではなく、明治になって再築されたものであるのですが、庭はすばらしいものでした。しかし、管理状況は北方博物館から比べると問題があります。文化展示が少なすぎるわけです。庭の散策だけですと、やがて廃ると思います。文化遺産はたくさんあるはずですので、公開の必要を感じました。

2001/11/17
11月の3日深夜の夜行列車で地元から7時間以上をかけて、4日早朝に京都に到着いたしました。新婚旅行はほぼ1ヶ月半をバイクの二人のりで日本を一周いたしましたが、私としてはそれ以来28年ぶりで、妻と二人の旅行をいたしました。若いときは散々無茶をやったものでした。35年前の大学生の時は自転車で日本一周をもいたしました。いまなら、結構夏になると若者達がそのような旅を楽しんでいるようですが、当時は国道といえども舗装がされていないのが、四国や山陰などでは長い距離で、へとへとになりながら、それでも、若さゆえの無鉄砲さが全てを楽しくしてくれたものでした。そして、現在、4日と5日は京都の旅館でのびのびと泊まり、5日の深夜に京都をたち、地元に6日の8時頃についた時には、さすがに、疲れ果てました。京都では大雲寺で原光司お上人と5時間も御一緒させていただき、立派な茶室を中心にした境内には感服いたしました。とりわけ、妻は感動し、帰ってからも毎日、大雲寺様のお茶室の話をしております。この、美学ともいえる茶室についてはページをとって紹介してみたいと思います。
また、深草の喫茶「いのき」にお邪魔して、たのしいひと時を過ごさせていただきました。これも、心休まる、めったに体験できない時間です。何でも、豪勢であればいいわけではなく、口先だけのサービスで納得できるわけでもなく、地域の人々の憩いの場所となっている喫茶店で、最高でした。また、この時期におなじみの、奈良国立博物館の正倉院展に行っても着ました。
昨日、淡路さんからメールがありまして、『古文書を読もう』のホームページでの間違いをご指導してくださいました。とりあえず、NO1の部分でしたが、解説もしていただきましたので、今後、メールをいただきましたら解説のコラムを追加してまいります。したがって、古文書、楷書化、現代語訳、読み方、解説の5つのセクションを『古文書を読もう』のページにしてみたいと思います。

2001/10/31
かねて15代より許可をもらっていた古文書の公開をいたします。また、これらは真島秀行教授の釈迦塚の祖先捜しから寺本家家筋まで(平成13(2001)年8月19日)に多くいんようされておりますのであわせてご覧ください。釈迦塚新田の名主浅野家の家筋についてはいくつかありますが、今回は浅野本家に保存されていたものです。三代目名主浅野次五右衛門が延宝二(1674)年八月に書いたとされるもので、自分の高曽祖父、曽祖父、祖父、父、自分について書いています。私が古文書に興味をもったのは、わずか100年前の文ですら活字になったもの以外は現代の私を含めた99%以上の人々が読めないことに気づいたからです。これが、英文なら読めてしまうのに、母国語が全く読めなく、そのために不当に処分されてしまう多くの家々に継がれている文化遺産があることに驚嘆いたしたことが発端でした。しかし、私は古文書の勉強をし始めてまだ4ヶ月しかたっておりませんので、間違いがあると思われますが、その際はご一報いただければ幸いです。
13ページにわたって構成してみました。ページの内容は以下のような項目で構成されております。
古文書
  原文お家流の写真です。
楷書化
  活字にあてはめてみました。
現代語訳
  わかりやすく翻訳してみました。
読み方
  かなで読み方を書いてみました。但し、名前は活字のままにしてみました。わたくしの個人的な考え方ですが、声にだして読めると文書の理解も早いようなきがいたしましたので、この項目をつけるわえました。(2001年10月31日 浅野和夫)

2001/10/05
夜11時頃、淡路久雄さんから、かねてお願いしていた原稿をメールにていただいた。題名は”『与茂七実伝』に登場する釈迦塚新田名主倅久之助は誰か”であり早速ホームページに組み込みました。このところ、私はほとんどを自宅サーバー構築にエネルギーを費やして、淡路さんにお願いしてはいても自分での調査はその間、2回新発田に行っただけでおこないませんでした。10/02より公式ホームページを自宅のLinuxサーバーに置くことにしました。現在、掲示板やチャットルームなどの作りこみをPerlで作成しております。ほとんど出来上がっていますが、セキュリティ強化のため、今しばらくお待ちください。

2001/10/02
本日から 釈迦塚歴史考公式ホームページ(http://www7.ocn.ne.jp/~giemon)に変更いたしました。 BookMarkの変更はここで行ってください。

→→ http://www7.ocn.ne.jp/~giemon

これは自動転送のダミーページですがブックマークはこちらでお願いします。 本物のトップページは動態的に変更される可能性があります。今後CGIでユーザーインターフェイスをフレンドリーにするつもりです。
昨日は中秋の名月つまり旧暦の8月15日であったわけです。 何か私のまわりでは物凄い勢いで時間が過ぎていくように思いましたが、 まだ、栃木から帰って3カ月と少々なのだと、改めて実感いたしました。 釈迦塚についての研究は現在一段落しております。先日は久々に新発田にでかけ、 与茂七を祀ってある諏訪神社にいってきました。強烈な暑さが過ぎたとたん、 はや、私共はストーブをだして、生活をしています。 秋になると、どうも活力がなくなります。 食欲も若いときと比べれば少なくなったものですから、 いきおい、「あ〜ぁ」などとため息をついてしまっております。 そんな、気持ちにさせる秋は好きではありません。 11月の上旬にまた京都にでかけてみようかとおもっております。 京都に出かけると何かいいことがあるわけではないのですが、 また大雲寺に行って見ようと思っております。 また、宝塔寺の修復もそれなりに一段落したのではないかと思いますし、 行ける時でないと行くことが出来ないのです。 以前、若いときは無茶をやって、大学の時は東京から九州、四国と自転車で回りました。 それから35年、好きな時に思い立てば何処へでも何を捨てても出かけることは、もはや夢幻となってしまいました。

2001/09/22
ホームページの公式サイト(Official TopPage)を従来の(http://blake.prohosting.com/syakazuk) から http://www7.ocn.ne.jp/~giemonに変更いたしました。ブックマークの変更をお願いいたします。こちらはサーバー容量が大きいので、映像データも格納してあります。また、広告は入りません。正式運用は10月よりです。

2001/09/07 :
このホームページの作成では多くの方々のご支援を頂戴していますが、今回より釈迦塚歴史にフォーカスをあてることにいたしました。歴史研究のプロは誰もおりませんが、コンピューターを駆使し資料を分業して、出来るだけわかりやすく今後も進めてまいりますが、現在は常に進行形です。ご提案がありましたら管理者までご連絡いただければ出来るだけ検討対応して行きたいと思います。
スタートページの一新をしました。それに伴い以下の更新をしました。
淡路久雄氏と真島秀行氏の研究のページを独立させました。またホームページ管理者のページも独立しました。
浅野本家より提供していただいた多くの文献の検討に入っています。結果的にそれらの公開にはまだまだ時間がかかると予測されます。
真島秀行氏の力作「釈迦塚の祖先捜しから寺本家家筋までは是非読んでいただきたいものです。
淡路久雄氏のページには「釈迦塚新田百間土居顛末」と「坂井砦蹟碑御撰文願草稿(安政4年未巳孟夏十五日 浅野正八郎藤原政悳)」の文書解読が追加されました。近々その現代語訳と解説も。。。

2001/08/20 :
以下のように多くの間違いがありました。訂正いたします。このように本ホームページには事実誤認、ケアレスミスなどによる間違いが多々ありえます。しかも、その大部分はページ管理者の私の厚顔無恥によるものでありますが、それにもめげずに未完のままで進みます。あらかじめ自らの中にゴールを決めて、そのゴールに達したときに発表というアクションを起こすのではなく、このホームページは常に時間と空間は現在進行形として取り扱います。したがって、間違った場合はできるだけ素早く訂正いたします。埋もれることより間違うことを選択し、事実については傲慢なほど謙虚です。間違いを指摘していただけることは感謝をもって新たな知識を得るチャンスと考えておりますので、いかなる間違いや、感想のメールでいただけるようにお願い申し上げます。(浅野和夫)

真島秀行教授ご自身の紹介に関して以下の間違いがあり、訂正させていただきます。

間違った個所 誤りの内容 正しい内容
トップページ 真嶋 真島
御茶ノ水女子大 お茶の水女子大
教授の父の代で上京 教授の代で上京

また教授より以下のご指摘を頂戴いたしました。

間違った個所 誤りの内容 正しい内容
略譜のコピーとその解説 天正3年(1576) (1575)
天正10年(1583) (1582)
略譜と浅野の系図との比較(直勝について) 永禄12年は1576年 1569年
天正三年は1577年 1575年

文法的ミス
約に立つ→役に立つ
十五代の父である十五代→十五代の父である十四代
大切の保管→大切に保管
誤字
浅野鬼久二→浅野鬼久司


2001/07/27 : かねてよりインフォメーションしていた歌麿、蜀山人、越天庵などの短冊450点以上をとりあげた。但し、今後のことをかんがえて、画質はあまり良くない。コメントは一切行っていない。今後、淡路氏、浅原氏の論文発表を待って、徐々に手を加えていくつもりである。
2001/07/21 : 掛け軸は数多くあります(「勝海舟」「入沢達吉」「溝口秀勝」などなど)が、今回は道晃親王の倭歌の自筆掛け軸を載せておきます。
2001/07/20 : 十五代からお借りした短冊や明治時代の写真のデジタル処理が全て終了しました。特に「長岡連越天庵子弟の短冊」の130枚は当時の人々の追跡が可能なものも半数以上ありました。今回の狂歌俳諧の短冊のデジタル化の中で当時の子弟関係の絆の深さを感じました。「越天庵」は「真顔老師」の23回忌には5枚の狂歌を詠んでおります。また越天庵の妻「濱の美佐子」もやはり、詠んでおりました。「越天庵」六十九枚の短冊のうち九枚が「真顔老師」と関係のあるものでした。
2001/07/12 : 「長岡連・・・」「越天庵以外」の258枚の短冊の撮影がしゅりょうしました。
2001/07/09 : 五十を半ばにしてやっと気づいた事
先週の月曜日からNHKで趣味の時間が「古文書入門」となりました。古文書についてはとりあえず、半年間勉強してみようかと思いました。そこで、NHKの本と「江戸かな古文書入門」、「暮らしの中の古文書」と三冊を購入しました。とりあえず、この三冊を研究することをテーマとしてみたいと思いました。私はいつも何かの勉強をしたい時は集中的に関連の本を購入し一気呵成に力を尽くすという方法をとります。その意味で言えば三冊はいつもと比べて三分の一から十分の一くらいなので、とても少ないのですが、今回は仕事に関係するわけでもないのであまり集中してはいけないと自制しているもの事実です。
この古文書の勉強は、いつも、歴史を学ぶ時に付きまとう虚無感や敗北感に少なくとも楔を打ち込みたいと思っているからです。
江戸が終わってから昭和二一年生まれの私なので、僅かに八十数年後に生まれたわけですが、活字以外の本を読んだことがなかったわけです。製本されたものでは、過去帳だけが、活字でなかったのです。今は生まれてから半世紀以上が過ぎてしまって、母なぞは今までの方が江戸時代にいたる時間経過より長くなっている。あと二十年強で、私も生まれた時を起点で江戸時代が近くなるのでしょう。それほど、江戸時代が近しいにもかかわらず、この近世という時代のみならず、明治以前についての文献を読むことが出来ないという事実は英語を読めることの方から比べても、捨て去ってはいけない文化の重みを確認させる考え方だと私は思うわけです。
四日前に「越天庵」と「濱の美佐子」の短冊のデジタル化をはじめました。「越天庵」の処理はやっと終了いたしました。
2001/07/06 : 新潟大学の日本近世史研究室にリンクをはる許可をえました。
2001/07/06 : 本日は早朝より浅野本家よりお借りした短冊類のデジタル化をはじめました。ただあまりにも膨大な数のため本日の作業は「越天庵」の71枚と「濱の美佐子」(越天庵夫人)の20枚の電子化の第一段階をおこないました。ぶんるいは浅原氏によるものでしたが、濱の美佐子の中に愚連堂凹の作品が1枚混入しておりました。まだ残されているのは越天庵以外で128枚と長岡連越天庵子弟狂歌短冊が130点のこされています。越天庵以外では既に多くの著名人のものははずしてあるのですが、愚連堂凹の例もありますので慎重に取り扱わねばならないとおもっています。休日をあと10日くらいつぶさないとこれらのデジタル化は完了しないと思いました。一部の作品についての掲示はこのホームページでおこなう予定ですが、著作権の問題を浅野本家とつめなければなりませんので、結構時間がかかる可能性があります。
2001/07/05 : 今回の浅野本家の資料の内新たに「積善堂遺文」36冊が発見された。これは膨大もない分量の漢文書で1冊約100ページであるから3600ページにも及ぶボリュームだが完全な楷書でかかれている風土記、随想といってもいい。作者の積善堂または丹羽悳はなにものなのかについて調べたがわからなかったので、新潟大学日本近世史研究室の原直史教授にご教授していただき、つぎのような丁重なるご回答をいただきました。「新発田藩士で漢学者でもあった人物で、寛政7年(1795)生まれ、弘化3年(1846)没とあります。通称は丹羽総助で、思亭・積善堂などいくつかの号を名乗っていますが、手元の人名辞典には丹羽思亭(にわ・してい)で項目が立っていました。手元では『国書人名辞典』『越佐人名辞書』に記載がありました。これらは大きい図書館に行けばあると思いますので、詳しくはそちらでお調べになると良いと思います。」
2001/07/03 : 十三代浅野虎三郎が書いたと思われる釈尊縁起は金銅霊像略縁起というものも抜粋であると思われる。金銅霊像略縁起は87ページの縁起と12ページの家系図写で合計文面だけで99ページという虎三郎氏のものとは比較にならないボリュームで日本書紀の内容から始まる壮大なものである。
2001/06/27 : 淺原雄吉氏よりご指摘を受けた2ヶ所の間違いを訂正。また弓田トヨ氏の写真の入れ替え。
2001/06/26
: 昭和7年5月15日釈迦堂前のご門建立記念の写真
2001/06/23.24 : 浅野本家に行き多くの資料をデジタル化してきた。しかし、整理に多大な時間を要するため、徐々に発表を予定する。
2001/06/12 : 十三代浅野虎三郎の写録した坂井砦誌を追加
2001/06/05 : 浅野家系図の初代からの家族構成をデータに追加する(13代虎三郎の写し)
2001/06/02 : 「私の釈迦塚と浅野家の歴史についての考え方」 以前講演したものの加筆修正の掲載
2001/06/02 : 「デジタル化の勧め(陳腐化の原理にどう立ち向かうか)」 以前講演したものの加筆修正の掲載 
2001/05/24: 浅野虎三郎葬儀参列者の全員の氏名がわかる
2001/05/24 : 写真氏名(田中廣 浅野進 浅野忠 浅野正 和田球)の順が逆だったのを修整する
2001/05/23 : 中山久美子氏から提供の浅野トヨ(明治39年11月2日:新潟市和田写真館)を掲載
2001/05/22 : 兄弟縁者写真の全員の名前がわかる

佐藤充代
(栄妻)
米子
(進長女)
白井ミヨ
(五女)
寿寿子
(浅野進妻)
弓田藤吉
(トヨ弟)
浅野進
(虎三郎次男)
浅野忠(三男)
(小野田セメント重役)
浅野正
(虎三郎長男)
木村貞
(虎三郎4女)
英子
(進2女)
中山久
(虎三郎七女)

2001/05/15 : 淺原氏の講演を原稿として起す。(ViaVoiceを使用)
2001/05/10 : 長時間MPEGデータを2分以内に分割しファイルにした
2001/05/06 : 淡路久雄氏の見附郷土誌13号掲載文を収録
2001/04/15 : フリーホームページのミラーサイト開設
2001/04/06 : 2001/03/12 : CD-ROM化(代3弾)
2001/04/08 : 大雲寺、直勝寺、宝塔寺周辺のアルバム
2001/04/08 : 大雲寺のアルバム
2001/03/28 : 自宅のホームページサーバーからフリーのホームページサーバーに切り替える。
2001/03/12 : CD-ROM化(代2弾)
2001/02/15 : 深草から大雲寺まで、原光司住職と大雲寺についてのビデオMPEG化
2001/02/11 : 大雲寺紀行


2001年以前の構成


1992年8月17日 釈迦塚で御開帳があり出席(私にとって3度目)この日が私の釈迦塚研究の原点です。