釈迦塚の浅野家の写真(実物はこれの5.5倍です)
(これが浅野家だったんですね。)

私の父は大の写真好きでした。レンズはカールツアイス、フィルムカウンターは腕時計の文字盤を使い、ブローニーのサイズダウンさせたベスタサイズ。現存のフィルムはないかもしれないですね。そんなカメラを自分で作っていたほどでした。私は以前から取りかかろうと心に決めていた事がありました。それは父の残した写真を含む先代以前の写真をデジタル化することでした。昨年度のうちに、私の撮影した写真は全てデジタル化はして、技術てきにはOKの状態で習熟しました。デジタル化の方法はフィルムの現存するものはフィルムスキャナーで写真についてはイメージスキャナーで取り込むことです。幾つかの補正処理を施すことも含めると一枚の写真をデジタル化し復元するには、いかに私がそれらの処理になれているからといえ最低5分はかかります。私も子供の頃から写真が好きだったので、デジカメを持つ前の写真ですら数千枚はあります。それらを自分勝手な基準で300枚くらい選んで、復元作業を行いました。それだけでも数ヶ月分の代休をあてねばなりませんでした。それが去年のことです。新年早々から私はより古いそれらの復元にとりかかりました。写真は意外と少なかった。約50年前、父が病床のなかで、母に命じて、ほとんど大部分の写真を捨てたのだということでした。従って、残された写真は父(浅野博)にとっては大切なものだと思えるので、そのほとんどの復元を実行することにしました。それと平行に仏壇の中にはかなり古い写真が保管されているのを知っていたので、同時に復元作業をはじめることとしました。釈迦塚の浅野家の写真は祖父(浅野応吉郎)の額に入った写真の裏にありました。「釈迦塚浅野家」とコメントがされていました。さらに、そこには人物が写っていました。この浅野家の写真のデジタル化の前に既に、100枚近い明治、大正の一族の写真を処理していたので、この人物を拡大してみると、映し出された人物は間違いなく浅野鬼久二氏であり、おそらく40歳から50歳くらいだと思わりました。それから考えると明治40年から大正5年くらいの写真だと類推できるわけです。そしてこの時代に浅野家ではすでにここに写っているだけで3台の自転車を保有していたことがわかります。さらに暗い玄関の奥に子供がいるようにおもいます。その子が誰なのかは特定できません。(後に「カツ」さんとわかる)

ところでこの白黒写真を田舎風のイメージであそんでみました。

中央人物(浅野鬼久司氏と思われる)の拡大

入り口にいる子供の拡大
[カツ]さんと(明治32年生)推定できる。したがってこの写真は明治末であるといえる。