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<<前のページ/戻る 夜明け前の OSパソコンの黎明期には現在のLinuxやWindowsやMacOSの前に百花繚乱のOSや言語の時代があった。其の中で私が多大な影響を受けた3つのOSを取り上げてみたい。(1986年11月) 8ビット時代の幕開 キットタイプのパソコンからやっとまともなキーボードがついているパソコンが登場しはじめた。NECのコンポBSや富士通のFM−7が一世を風靡した。この頃アメリカではアップル2やタンディのTRS80、それにPET2001などが登場してた。総選挙の時にTBSだったと記憶しているのだが、アナウンサーが「選挙速報に多くのコンピュータを導入し予測をいたします。」といって映されたコンピュータがPET2001であったのが大変私を驚かせた。これはきっと数年の時を経ればパソコンが時代を凌駕するだろうことを予感させる出来事として脳裏にやきつきました。私がこの時代に購入したのがNECのPC8001mk2で64Kのメモリーをサポートしていた。勿論外部記憶装置としてはまだFDDなどはとても高価で買うことなぞできなかった。当時8インチのFDD(2ドライブ)が40万円近くしたのだから。もっぱらオーディオカッセトにプログラムは記憶させておいた。だから当然ランダムアクセスなどな出来ない。プログラムはN88BASICで書くしか手がない。アセンブラを除けばのはなしだが。たのまれて最初につくったのが時間制の有料駐車場管理だった。これは絶大な支持をうけた。おもちゃみたいなパソコンが実際有効に機能することが実証されて私はおおいみ満足だった。 OS時代の幕開け 私 にとってのOSはOS−9だった。もちろんCPMやFLEXなどもあったが実は無縁だった。OS−9は究極の8ビットCPUといわれた6809用のOSで、私は富士通のFM11AD2+という機種でこいつにはまってしまった。FMシリーズはFM−7,8,11と進化し、FM11AD2になり,富士通にとって68系最後のマシンがこのAD2+だった。そしてその性能とは裏腹に最後までマイナーなOSで終わってしまった。象徴的なトピックスとして、こいつにはスクリーンエディターがなかった。勿論、当時としては当たり前で、MS−dosの初期のエディターとして悪名高いEDLINのようなラインエディターしかなかった。だからいかにプログラムを組むのが何より好きな私でも、ビルゲイツとアレンのbasicの環境になれてしまったこの身には耐え難い代物だった。ただ、OS−9の標準言語としてBasic09という構造化言語がついていて、これがとても魅力的だった。それでBasic09で最初に書いたプログラムがスクリーンエディターなのは当たり前で、以後たいていの言語で簡易スクリーンエディターを作って鼻高々だった。ただこのOS−9がいかに優れていたOSかといえば、DOSでさえ一番最初のバージョンではツリー構造のディレクトリーはサポートしていなかったのに、すでにマルチユーザーマルチタスク、I/Oリダイレクト、ディレクトリのツリー構造、シェルをサポートしていたのだ。つまり8ビットのUNIXといっても過言ではないようなOSで、Basic09は行番号付のBillGatesのMS系Basicと比べれば、ほとんどC言語といっても過言で無い。わかる?CPUパワーと8ビットと言う事を割り引いて考えてください。UNIXほど強力ではないがシェルやマルチユーザー、マルチタスクをサポートしていたんだ!それにBasic09はC言語でサポートされている論理型さえそなえていた言語だ。これはMS−dosがMSAMしか標準で(DOSに付属の言語として以前はついていた。今は別売です)サポートしていないことを考えれば高級コンパイラがついていたのだから、これで売れなかったのが不思議な気持ちすらする。もっともBasic09のコンパイルは中間コードに変換するタイプで、いわゆるランタイムがないと動かないのだが、スピードは抜群だった。ビルゲイツからくらべれば商売が下手だっただけではなくIBMが8086を選んでしまったという不運にも見まわれた結果だ。OS−9の参考書として写真で出ている2冊のほかに技術評論社の「OS−9テクニカルガイド初級編」「OS−9テクニカルガイド中級編」、秀和の「OS−9/6809ユーティリティ」等を読み漁った。(写真:工学社の昭和59年10月発売の「OS−9入門」とOS−9の特集をやった1985年4月号のインターフェイス誌)
SmallTalk(夜明け前のMacOs?) SmallTalkはXerox社のPaloAltoリサーチセンターで1970年代初期に開発されたオブジェクト指向型言語でWindowsの環境でうごいていたのです。つまり当初のMS−BasicがBasicの環境(OSといってもよい)の中だけで動いていたように、SmallTalkは起動するとそれはWindowの中だった。この環境にはともかくびっくりさせられた。私が購入したのはサザンパシフィック社がPC98シリーズ向けに焼き直したSmallTalk/Vというものだ。直ぐにでも日本語使用と日本語のマニュアルが出るとのアナウンスにのせられてそれと言語としては破格に安かったので、購入した。サザンパシフィック社の出す製品は当時としてはどれもリーズナブルな価格でそれなりの評価を得ていたが、アナウンス先行というのは現在もあまり変わらない企業姿勢のような気がする。MS−Windowsの32ビットOSに対応したコンパイラ込みのDbase互換の言語などこの4月で注文して金額振り込み以来2年も待たされているので今後この会社との付き合いは考えざるを得ない。そして写真は待ちにまった日本語の翻訳マニュアルだが、あまり翻訳はうまくなく原書の方がわかりやすかったと思ったのは私だけではなかったのではないか。SmallTalkはZerox社がなぜもっと積極的に自社以外の特にパソコンに乗せようと思わなかったのか理解できない。Windowsがでる前にマウス操作で現在のWindowsそっくりの環境を備えていたのでだから。最もこの環境の優位性を見抜いたパソコンの先駆者がいたのは知ってるだろう。かれはスティーブンジョブスのことだよ。apple2の生みの親だ。彼はリサというコンピュータを作った。リサはほとんど売れなかった。つまり大失敗だったのだ。apple社は背水の陣で開発したのがマッキントッシュだった。これは大成功をもたらしたのだ。このことはマイクロソフトをしてWindowsの開発を絶対に成功させねば未来がないと認識させるにいたった。あの時点でapple社がマック以外に(つまりAT互換機に)、MacOsを販売したら間違いなくマイクロソフトは現在の王国を作ることは出来なかったのに、時代はかわりOSをROMベースでなければとしたMacはついにMicrosoftの軍門に下ったわけだ。そのMicrosoftにもディスクロージャーの波が押し寄せてきつつあるのは面白い。(1996年)Minix(夜明け前のLinux) 最初に触ったコンピュータがPDP11だった私にとって、Unixはとても神聖なOSであると同時に決して手に入ることのできはしないOSだと思われた。大学の研究室にしかなかったPDP11はほとんど神格化されたイメージでパソコンユーザーの私にはおもえたものだった。しかし、いつかはあのオープンなUnixに近づきたいと思い続けていた。そこにUnixの小型版であるその名もMinixがVer1.0が9800円その後、マニュアル写真のVer1.5が15000円くらいで発売された。同時にAsciiから膨大もない資料の乗っている「Minixオペレーティングシステム」という本が発売された。あこがれを少しでも手のとどく範囲におけるものならと、即座に購入した。MinixはNiftyやMixなどに私のような熱心な信奉者が多くいた。私は学生ではなく○○才を超えた社会人だったのでとても時間が多くつくれなかったが、人よりは遅いかもしれんが夜を徹して勉強をした。Linus
Torvaldsという学生もこのMinixにとりつかれた一人だったんだ。LinuxはLinusとUnixをまぜてつくられたのではなく、Linux=Linus+Minixだってことを知ってる?このMinixの経験が現在のLinuxの流れに少なからず私には役に立っている。LinuxのFreeSoftでMinixから転用されたものが多数あるんだよ。
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